銀座1丁目20番地の畳屋さん。2階のベランダにひまわりと朝顔!季節を感じさせてくれる花たち。なかなか銀座ではひまわりと朝顔には出会えないですが、こうしてベランダで楽しむ方法があるんですねえ。たまには上を見上げて歩いてみるものですね。
笑う家。銀座1丁目20番地。でしょう、でしょう、笑っているでしょ、この家。とっても好きなんですよね。ずっと見ていた筈なのに、この家が笑っていることに気がついたのはほんの数年まえのこと。しかも天気のよい午前中でないと笑ってくれないんですよ。
銀座通り、銀座1丁目。夕立が来そうな重い雲。でも、そらは明るくて、まさに夏の夕暮れでした。でも、結局深夜にちょっと降っただけでした。ぼくは降られちゃいましたけど....
27 件のコメント:
おひさしぶりです!
ももです★
もてぎさんの影響で、
色々な町を散策しはじめました。
私は免許ないので、
自転車なのですが。ままチャリです。
今日も50キロはしりました。
もてぎさんの写真って、本当にすてきです。
なかなか同じ場所はみつからないのですが....
ところで、
妹さんすばらしいですね!
妹さんの昔の病気の話など、すぐにコメントしようか迷ったのですが、
色々と消化してからコメントしようと思いました。
もてぎさんの優しさのつまったコメントを見て、
小休憩を楽しもうと思いました。
本当にありがとうございます!!
やりたいことを自由にずっと続けて行こうと思いました。
少しこわいですけど、
好きな事をしている時間て幸せをすごく感じますし。。
もてぎさんは男の方ですし、
まだまだ出会いはあるでしょうし、
きっとあたたかい家庭の幸せも、
もうすぐそこでしょうね。
個展楽しみにしてます!
ところで、香港はいつごろいくのでしょうか。
ペニンシュラホテルのモンテカシミヤというカシミヤセータ屋さんが素敵でたまに行きます。
もし時間があったら。
なーんて、仕事ですし、
そんな時間ないのかなぁ。
ももさん、こんばんは。
とっても、元気そうな投稿でなんだか僕も安心しました。
それにしても、ままチャリで50キロとはすごいですね!
おしり痛くなりませんか?
僕のオートバイは、シートが細くてすぐにおしりがいたくなっちゃうんです。昨夜も、映画のスティール撮影で新宿まで、機材をしょってでかけたんですけれど20分くらいのあいだですっかりおしりが痛くなってしまいました。
そしてね、写真て、ものをどう見てるかってことが出るんですよ。同じ場所に行っても僕と同じものは見えないかもしれない。それは誰しも同じで、ももさんと同じ場所を僕が見たとしても、ももさんと同じように見えるとは限らないんです。自分の見た物を写真というカタチで
ひとと共有するんです。一緒にいても見えないものがある。写真でそれを伝え合うんです。だから、面白いし、幸せにもなれる。ももさんも、自転車で巡る街の中からももさんだけの風景を見つけ出してくださいね。
それから、香港。今年は10月の13日頃から行くことになりそうです。モンテカシミヤですね?毎日深夜にならないと自由時間はないのでいけるかなあ。
もてぎ
ももです★
おひさしぶりです。
あまりに夏らしい写真があり、
ステキだなぁとみとれてたとこです。
おしり....正直いたいです。
でも、最近体重が太ってくれたので昔ほどは痛くないですけど。
機材って重そうなイメージが。
スティール撮影ってどんな雰囲気でやるのでしょうか。
緊張感がただよってそうですね。
写真がどのように見えてるか出るという言葉を見て、いろいろ昔授業でならったことを少し思い出しました。
大学の生物の授業で、
人間だけが人の顔の認識などすごく緻密な認識が出来るということと、
実は見えてない部分があり、
頭でイメージをつなげて一つの絵として認識しているということ。
なんだかこの世に絶対的なものが無いような、ちょっと寂しい感覚を受けたことを思い出しました。
でも、もし写真が共有できるならば、
少しはその寂しさも解消できるなぁと感じました。
すこしズレタコメントになってしまいましたが。
写真ってすごいですね。
共有できるのって。
見ているものがいつもいつもちがくても、ある一瞬をとどめておけて、
なおかつ共有できて、
思い出にもなり、
うーん。
つきつめると難しそうだけど、
そこらへんでとどめておけれるのならば、とても写真に対して素敵だなぁと思えそうです。
たまに、写真みると、もっともっと広く写したいのにって思う事があります。
自転車もいいですけど、
バイクならもっともっと色々な所いけますね!
なんだか旅行しているみたいで、
電車使わなくなりました。
ところで、一人旅いってきたんですね!
南大東島。グーグルで検索しちゃいました。
一人旅できるなんて大人。
いろいろなことを考えたりしちゃうんでしょうか。
それとも、すごくリラックスして心が洗われたりするのでしょうか。
どちらにしても、
旅っていいです。
香港のペニンシュラホテルに入ってますから、ホテルがペニンシュラならいつでもいけるかもしれませんね。
それにしても、
やっぱり仕事いそがしそうですね。
ももさん おはようございます。いつもありがとう。
人間は脳でモノを見ていると言われます。目から入るたくさんの情報を取捨選択して意識のなかに留めるのは本当にごく一部なのです。写真を撮ると、そのごく一部として認識したものを記録できるのです。それがコミニュケーションとして人に伝えられるんだと思います。そして、写真は機械技術ですから自動車のように人間の能力を拡大する技術でもあります。高速シャッターや連写で速い動きを止めることや、高感度で目には見えない暗いところを写し出す能力がそれです。そうした技術的能力を使うことで、記憶し、変成した意識を表現することができるのですよ。科学技術、でありながら、心の中のイメージを目に見えるカタチに置き換えることができるという面白さがあるんです。
写真を撮るのは、僕自身が考えていることや心の中に湧いたことを視覚として自分自身がもう一度再確認するために写真を撮っている、そんな感じです。でも、そんな小難しいことを考えなくても、きれいなもの、自分の好きなものを写し止めてそれを人に見せられる。それだけで素晴らしいと思うのです。
今回も一人旅でしたが、写真を撮りに行く旅は一人旅が多いのです。本当は誰かと一緒に行きたいのだけれど、朝から夜中までずっと撮影、撮影ですから、いわゆる旅行にはなりません。南の島に行ったって、泳いだりもしないんですよ。水着にさえなりません。もし、そんな旅を共有できる人がいたら、その人は宝物です。
一人旅はいろんなことを考えますよ。考えて考えて気が狂いそーなんて思えるくらいです。優雅にリラックスしてってことはないです、残念ながら。それでも、旅というか写真を撮りに出かけてしまうんですよね。
南大東島から東京に帰ったその足で仙台と花巻にも行きました。こちらはオートバイで。仙台まで6時間ほどかかるんですが、その間もいろ〜んなことを考えています。まるで走馬灯みたいに。クルマだとそんなこともないんですが、オートバイだとそうなんです。不思議な乗り物です。あんまり考え事しすぎてると危ないんですけどね。
あ、香港はたぶんHarbor View Hotelというところだと思います。ペニンシュラまでは歩いて15分くらいかな。毎年同じところだったので今年もきっと一緒。海峡沿いのホテルでなかなか景色がいいんですよ。といってもあまりゆっくり見たことはないのですが。泊まってみたいです、ペニンシュラ。ももさんは、ペニンシュラに泊まったことはありますか。
長くなっちゃいましたが、最後に。南大東島の写真をほんの少しですがアップしました。8月11日 番外編 のページです。のぞいてみてくださいね。
もてぎ
ももです。
うーん。率直に嘘なしで言いますと、
もてぎさんてすごい。
多分この教えて下さった文章の言葉の半分理解できたかどうかだと思いますが、
それでも、勉強になる事が多いなぁと感じてます。
特に、
『科学技術、でありながら、心の中のイメージを目に見えるカタチに置き換えることができるという面白さ』
本当に面白い事が起こってるんですね。
そんな風に写真を感じる事がなかったので、ただただ撮って、きれいとか。
そんなもんでした。
でもだからこそ、前にもてぎさんの言っていた技術に対しての追求が鍵になるのかもしれませんね。
思想は他の事でも磨けるけれども...の話です。
『写真は機械技術ですから自動車のように人間の能力を拡大する技術でもあります。』この文章にも、なるほどという気持ちがこみあげてきました。
もてぎさんてすごい。
やっぱり一つの事をずっとずっと続けて行くとすごい事になるのですね。
一人旅...これはちょっと危険でもありますね。私は色々考えたくありません。正直つきつめると怖い事が多くて、見ないようにする事もあります。
でも、だいたいは結局色々考えたりしてしまうんですが。
宝物。本当に欲しいですか?
もしかしたら、それを得たらこのステキな写真とれなくなってしまうかもしれません。
だって、たまに私の感覚だから私もそういう部分があってそう見ているだけかもしれませんが、
少し物悲しくてでも、なんだか優しいそんな絶妙な写真が好きです。
いつもいつも悲しそうなわけじゃないですが、本当に純粋にきれい!すてき!と感じるのも、それはいっぱいありますが。
なーんて。
南大東島...きれい。なんかもっと語句を知っていたらいいのに。。。
下の写真これが見たいです。
純粋に旅行に行きたくなりました。
海外にはないもの日本にたくさんあるんですね。
なんとなく海外=すてき的なものが渦巻いていますが、
日本を良く知ってみたくなりました。
積乱雲。港。これ夕暮れなんですね。勝手に朝方かと勘違いしてました。
やっぱり写真にも絵画にも説明が欲しいです。
撮っている側の感受性の豊かさと見ている側のそれとは、レベルが違うのが隙間があるように思えるのです。
でも、それをはっきり言葉にできないものが多いのと、なんだか考えるのを逃げますが、色々なことで、全部が共有出来ないような。
そんなことは結構どうでもよくて、
秋の声の2枚目を見て癒されました。
社会で色々ともまれて心が折れそうになると、このブログにくるようにしてます。
いつまでも純でいたいですから。
ところで、なんで同じところに鳥がいるのですか?
この文読んで私も気になりだしはじめました。
旅行が帰りにその足で6時間ものるのですか?しかも仙台に。
体力あるんですね。
というより、忙しいのですね。
というより、大変そうだけど面白そうですね。
一応自転車も色々考えてしまいます。
なんだかバイクの方が、もっともっと色々頭の中でかけめぐりそうですが、
単純にスピードの差なんでしょうか。そうじゃないような。
自分が出来ない事の話を聞くのって本当に有意義だと思いました。
それが全部理解出来ないのは悔しいのですが、それでも、聞けるだけでもとてもありがたいことだなぁと。
もてぎさん...ありがとうございます。
ペニンシュラは泊まった事ありません。泊まってみたいですが。
行ったときはお茶のみに行きます。あとショッピングも。
すごくステキなホテルじゃないかなぁと思います。
ただ、ショッピングはかなりきついなぁと思いました。
高級すぎます。毛皮とか、宝石とか...
でもカシミヤ製品はその中でも買える感じでしたし、良かったですよ。
15分かぁ。無理かもしれませんね。
それにしても仕事で香港いけるなんていいなぁ。
きっと夜景が見えるホテルなら、最高でしょうね。
個人的な写真もとるのでしょうか。
本当に毎日ずーっとカメラと一緒なんですね。
すごいなんて言われるとちょっと困ってしまうんですが…….
ただただ撮って、それでキレイ、気持ちイイ。そういう写真だって悪くないんです。それも楽しいことですからね。でも、写真とつきあうことに何を求めるかという自分の立ち位置を考える時、ひとつそうした答えがでてくるんです。
ぼくも愛用しているLeafというプロ用デジタルカメラのメーカーがあるんですが、ここのキャッチフレーズが Your Art is Our Science. なんです。これをどう日本語に訳すかは問題ですが、僕がいつも考えていることにとても近いコトバで大好きなんです。
思想というと政治や宗教に絡む言葉として捉えられがちですが、思想はあくまでも、現実の事象を体系的に整理し、受容する個人としての考え方です。世界観という言葉にも置き換えられます。キレイ、気持ちイイの理由が何であったかを論理的に考えまとめることと言ってもいいと思います。本来、キレイや気持ちイイに理由なんてなくてもいいのですけれど、今のコトバでいえば、同じ空気を吸っている人にしか、それは伝えにくい。よく、感性という言い方をします。
写真にも絵画にも説明がほしいと書いたももさんのコトバはまさにここで、その気持ちは「正解!」だと思います。よく欧米の作家は自分の作品について語ると言われます。自分の作品に対して論理的体系、思想ができているんですが、対して日本の作家は、感性、感受性に任せた制作をしたがるので自分の作品に対して論理的な説明ができないのです。作品の善し悪しとは関係しないことなのですが、論理的な説明ができれば同じ空気でない人にも受け入れてもらえる可能性が高くなります。文化は経済的な強さとも連動するもの、今後の国際的な経済を考えると、論理的でなければ日本の写真文化は永遠にドメスティックなままで極東のすみっこのままだと思うのです。韓国、中国に主導権を握られて行くことでしょう。そこにカメラの生産国としてまた写真文化のある国として踏みとどまるために写真に対する思想を固めようという呼びかけをしているんですよ。あるカメラメーカーのこの夏発売の新機種のプロモーションビデオに出演することになりましたが、そのなかで感性だけではなく世界観を持とうという呼びかけをさせてもらえることになりました。そして、今後の広告展開にも体系的に取り入れてくれることになりました。僕自身が数年同じスタンスでの呼びかけを続けてきたことにメーカーが反応してくれたのです。これは、嬉しいことと同時に、日本の写真文化が長く存続できる一歩を踏み出したものと思っています。
また、長くなっちゃいましたけど、ももさんにお話をしながら僕自身も考えをまとめる貴重な時間です。ここで書いたことがまた他でまとまって行くんですよ。
そしてもうひとつ。
なんとなく海外=すてき的なもの
たしかに多いです。「見たことがないもの」には興味をそそられますからそれも悪いことではありません。
でも、自分たちの持つ物をもっと知った上で、いえ、あるいはもっと見直そうよ。ということを来年の活動の軸足におくつもりなのです。ちょっと先のはなしですけれど、来年の12月に Made from Japan というコトバをスローガンに写真展をプロデュースします。僕自身も出店する予定です。これは予算がつくので青山とか渋谷とかの人が集まる大きな会場で開催したいと思っているんです。日本から発信したいのです。
宝物 の話もしちゃいましょうね。
宝物、本当にほしいですよ。一緒に夢を見ようと、一緒の風景を見ようとしてくれる人。そんな宝物のような人を求めて止みません。でも、同じものを見ても同じように見えるわけではありませんよね。だから、そんな宝物のような人がそばにいたら、僕の見ているようなものをより伝えようと今よりもっとたくさんの写真を撮ることでしょう。宝物って僕のためにいてくれる人なのです。身勝手な望みですね。
さらに続きます(笑)
仙台・花巻旅行、なんというか貴重なお休みなのでくっつけちゃいました。まあ、仕事のことではないので無理だったらごめん。そんなノリです。
バイクに乗るといろいろ考えちゃうのは、自分で漕がなくていいからなんじゃないでしょうか。能動的に自分のからだを動かすということはなく、クルマのように車内で音楽を聴きながらとか何かをしながらではなく、ただひたすらにハンドルを握って何時間も、肉体としては不自由な時間を過ごさなくてはなりません。自由になっているのはアタマ、脳だけなんですよ。そして、例えば誰かと一緒に出かけても走行中は一人です。同じ景色を見ていても、その時にその話をできません。伝え合うのは走り終わってからです。だからこそ、考え事をしながら走って行くことが必然のことのようにおもえるんですよ。
ももさんも、自転車で出かけるとき誰かと一緒に出かけてはどうでしょう?走り終わってから、途中見た景色のことなんかを話すのです。プチ一人旅だし、ちょっと面白いと思いますよ。
あ、でもしっかり前をみて走りましょうね。
もてぎ
ももです。あの、ここで勉強したことうれしかったこと、私のブログに日記でかいてもいいですか?
もちろん名前とか出さないですし、
ある方に教えてもらったのですが、
的にぼかします。
この気持ちをブログに残しときたいのです。
だめでしょうか。
日本の作家は、感性、感受性に任せた制作をしたがるので自分の作品に対して論理的な説明ができないのです。作品の善し悪しとは関係しないことなのですが、論理的な説明ができれば同じ空気でない人にも受け入れてもらえる可能性が高くなります
誰しもがみんな自分を特別だと思いたくて、
だけどなれる人は一部の人。
頭一個飛び出るのは大変。
だけど、みんな主張はあり、
そんな世の中で物や人に執着します。
青春時代、ちょっとみんなが知らない音楽が好きと言ってる自分が好き。とか。
人間関係で悩んでる人もたくさんいます。
そこで、この言葉はとても救われるのではないでしょうか?
本当に好きなら知ろうとしますよね?
海外の人はちゃんと美術館で説明のテープを熱心に聴きます。
日本人の方もいますが、
でも、自分に酔っちゃって本来の作品を知ろうというよりも、そのものが好きな自分が好き。的なことにシフトしている気がします。
それは、とても寂しいことです。
私が病気して分かったこと。
それは人と共有する幸せ。
これではないかと思います。
脱線しましたが、宝物の話。
あれ、いじわる言っちゃいましたね。
でも、ゆるぎないモテギさんの文章を見て、
とても嬉しく思いました。
自分に対しては恥ずかしくも思いましたけど。
本当にみつかるといいですね。
心から思います。
こんなに素敵な写真をとられるかたなのだから、興味があり同じ空気を吸いたくなる人は現れるでしょう。
ただ、その出会いの場が少ないだけかもしれませんね。
私には宝物がいます。
自転車にいつも一緒につきあってくれます。
私の闘病生活のためにも、
ちょっと違いますが、
彼は付き合ってくれました。
そんな人がこの世にいるってすごいことだなぁと思います。
見捨ててもよかったのに、
私のそばで励ましてくれました。
仕事は微妙で二人で模索しています。
でも、ここで勉強したことをいかせばどうにかなるのかなと思いました。
論理的に考える。むきあう。なんだか分からないことを言葉できちんと説明する。つまり理解できれば、明確なビジョンが描けます。
私が探してたことがみつかります。
きっと。
ここまでしかまだ消化できないので、
コメントかえさないでくださいね。
もう少しして、続きを慎重にまとめます。
慎重に。
すごくいい言葉。
もてぎさんからもらった言葉です。
それと、瞬発的にここに気持ちが出てしまったことを許してください。
もう一度全部のコメント見返してました。
取りこぼしたくないなぁと思いましたので。
そして、次のお給料が入ったら国語辞典をかうことにします。
言葉を理解して自分の気持ちをきちんと理解できる文章にしたいと思ったからです。
そして相手の方が何を言いたいか。
それをきちんと理解したいと思いました。
「写真は感性であるという言われ方をしますが、僕はこの言葉が好きではありません。僕自身は、写真は思想と技術であると思っています。思想とは何をテーマにし、いかに論理を組み立て、撮影のための精神的準備をするか、技術とは現実の中で撮影のための準備と確実な撮影で一度のチャンスをこぼさないようにすることです。技術がなければ写真は撮れないし、思想がなければ作品は作れないのです。そんな風に考え、まずは技術の習得を目指しました。思想はカメラがなくても育てられますから。」
この文章をしっかり理解できるように、読み続けていますが、
もしかしたらですが、
さまざまな事にあてはまるかもしれません。
なぜかとても大事なことな気がしました。
拡大解釈の幅でずれて感じ取っている可能性はありますが。
そして、触れてなかった妹さんの話。
時間が経ったのでうまく文章に書けるといいです。
やっぱり、大病を患うということは、
かなりの精神的なダメージと、
死を意識するということ。
とても怖いということ。
絶望感で世界が黒く見えること。
それ以上に周りの人も巻き込んでしまうこと。
両親と彼にはよりかかりすぎて、重荷になっているなぁという申し訳なさと何も出来ないことの葛藤。
心が折れそうと言うよりは折れてしまうこと。
こればかりは体験しないとわからないことじゃなかなぁと思います。
ですから、妹さんのことを全部は理解してあげれないですけど、少しは私も分かる気がしました。
なので、妹さんの話を終始見て思いました。
本当によかったなぁと。
なにより大好きな絵に携わる職業に
つけたというより、大好きなことができるという幸せ。そして認められたということ。
認められるということは、とても大きなことだと思いますし。
大切な家族もいてくれて、理想です。
妹さんの話はこれ以上うまくかける自信がないのでとめておきます。
「でも、そんな小難しいことを考えなくても、きれいなもの、自分の好きなものを写し止めてそれを人に見せられる。それだけで素晴らしいと思うのです。」
本当にすばらしいことだと思いました。
もしかしたら、永遠に残せることが出来るかもしれませんし。
でも、やっぱりそれだけに頼ると、さっきの感性のみに頼るということに繋がってしまう気がします。
感性というのは私にとって、とてもあやふやなものに感じます。
それは私が凡人だからかもしれませんね。
「思想はあくまでも、現実の事象を体系的に整理し、受容する個人としての考え方」
「世界観」
「キレイ、気持ちイイの理由が何であったかを論理的に考えまとめることと言ってもいいと思います」
はぁ。脱帽です。
すごすぎません?
一度にこんなにきずかせてもらっていいのでしょうか。
なんだか私だけずるいかもしれませんね。。
あ...でも、もしかしたらこのブログに来た人が、こっそり見ているかもしれませんね。
そしたら、もっともっと救われる人が出てくるのではないでしょうか。
だって、色々なことを突き詰めて考えてみようと思うようになりますし。
そうすると、解決策を生む事も出来ますし。
感受性についてはどう思いますか?
私は感受性豊かだといわれたことが1度だけあるのですが、それは自分が受ける感覚ばかりにウェイトがいってしまって、相手を考える力が少したりなくて、それを相手が気づき、相手は私に少し距離をおき、それを相手から受ける感情ばかり気を取られるので上手にくみ取ってしまって、悪循環だなぁ。
という人間関係についてあてはめて考えてた時期があったのですが。
「写真を撮るのは、僕自身が考えていることや心の中に湧いたことを視覚として自分自身がもう一度再確認するために写真を撮っている、そんな感じです。」
すごいと思いました。
本当に写真に長い間向き合った人しか
言えないと思います。
そもそも、思想と技術にわけて考えたこと。
ここがすごいですよね。
普通は、思想にばかり目が行ってしまいますし、なにより言葉に表しにくい事柄を、考えて理解してそれを分かりやすい文章にまとめることが出来る。ということが、すごいと思いました。
あー、少しは私の気持ちが伝わってくれたでしょうか。
これが、もてぎさんすごい!と連呼していた理由だと思います。
もてぎさんは、説明できるほど好きなものに向き合って、考えて、また考えて、確固たる自分を確立しているのですね。
それが、凝り固まるのではなく、大事に固めて土台がしっかりしています。そういうふうに私は認識しました。
「あるカメラメーカーのこの夏発売の新機種のプロモーションビデオに出演することになりましたが、そのなかで感性だけではなく世界観を持とうという呼びかけをさせてもらえることになりました。そして、今後の広告展開にも体系的に取り入れてくれることになりました。僕自身が数年同じスタンスでの呼びかけを続けてきたことにメーカーが反応してくれたのです。これは、嬉しいことと同時に、日本の写真文化が長く存続できる一歩を踏み出したものと思っています。」
なんだか私の世界では起こりえないことが起こっているのですね。
きっと、見る側の人間にとってもすごくありがたい事だと思います。
やっぱり、共有は幸せを生みます。
そう、私はこの「共有」でたぶん救われたんじゃないかと。
あやふやだった気持ちがはっきりしました。
病気をして、全部終わったと思ってましたから、また人生が始まってくれて、色々思うところはあります。反省も含め。
純粋に、色々知ってみたい。という気持ちがめばえましたし。
私にたりなかったのは「共有」でした。
ちょっと違うけれど競争にばかり目がいってたのは確かでした。
「また、長くなっちゃいましたけど、ももさんにお話をしながら僕自身も考えをまとめる貴重な時間です。ここで書いたことがまた他でまとまって行くんですよ。」
いつも長くしてるのは私ですよね。
ごめんなさい。
そんな風にいってくださると光栄です。
なんだか私の存在意義がほんのちょっとだけでももてた気もしますし。
ありがたいです。
「なんとなく海外=すてき的なもの
たしかに多いです。「見たことがないもの」には興味をそそられますからそれも悪いことではありません。
」
はぁぁぁぁ・・・・
びっくり!
これでした。
なんでこんなに心を奪われてたのか意味分からなかったのです。
もてぎさんは、いつごろ気がついてたのですか?もうずっと前なのですか?
私は海外が大好きなんです。
一応順位付けはありますけど、
なんでかなぁと。
自転車で町を散歩するようになってからは、
旅行気分がここでも味わえるんだぁという感覚から、とっても幸せな時間がすごせてます。それこそプチ一人旅ですね。
プチ二人旅もありますが。
こないだなんか、むくっと朝方目が覚めたので、5時頃自転車でぶらぶらしました。
誰もいない町。
朝まだ活動前の静かな薄明るい町。
いつもとまったく違うかおをした町。
でも、おじいちゃんおばあちゃんはラジオ体操をしてて、なんだか微笑ましくて面白かったです。
たまに空にみとれて、自転車危ないときありますから気をつけます。
こないだママチャリをマウンテンバイクに変えるか迷ったのですが、あまりにママチャリに愛着がわきすぎて、新しい自転車かえませんでした。
体力つくだろうし見た目だけ少しへんなだけですから、まぁいいかなぁと。
「8・11番外編
昼も夜も感動の涙が溢れました。その涙を拭うことなく流れるにまかせました。」
何を感じてたのでしょうか。
とても壮大な自然に心を奪われてなぜだか分からないけれども、涙が出たのか、
それとも、色々な思い出とともに見ている景色が一体となって涙がでてきたのか。
それとも、また何かに向き合って考えていたのか。
なにはともあれ、感動の涙が出るって心が豊かな証拠だと思います。
そんな心に私も育てたいなぁと思いました。
今日は月島に行ってきました。
わたしだけの顔に見える家をみつけられました。
家が顔にみえる。
このことを教えてもらって、心がほんの少しだけ優しくなれた気がします。
自分だけでは気づけなかった事がここでは沢山教えていただけて、
なんだか私だけモラッテバカリ。
それがちょっと複雑な気分です。
申しわけありません。
でも、ありがとうございます。の気持ちの方が少しだけ大きいです。
ももさん こんにちは。
レスが遅れてしまいました。ごめんなさい。
まず最初に。
ももさんが感じたこと、どうぞ書いてください。そして僕の名前をだして構いません。僕は写真の業界の中にあってずっと同じ主張をしています。それがどこか違うところで、聞かれるとしても自分の言葉に責任をもちたいのです。
誰しもがみんな自分を特別だと思いたくて
そうなのです。誰しもがそう思っているのです。僕自身だってそうです。
成れる、成れないということで言えばそれは確かにごく一部です。
でも、誰しも自分が自分自身にとって特別で大切なものです。
だからこそ自分を大切にしなければいけないし、他者も同じ思いであるのだから他者も大切に思ってあげなければいけないのです。
そんな風に考えると少しばかり面倒なことが減るような気がしませんか?
そして宝物の話。
ももさんには宝物と言える人がいて良かったですね。羨ましいですよ。
病気の絶望が彼や両親に負担をかけてしまったことに悩みがあるのですね。
でも、それは人としてごく当たり前の感情で、ももさんが当たり前に健全な精神を持っているということがよくわかります。大きな病気の人と接することは健常なものにとって確かに負担です。ですが、その負担そのものが愛情なのだと思います。愛情はいつも喜びだけとは限りませんから。あなたが彼や両親を宝物と思うように彼や両親もあなたを宝物と思っていることでしょう。
27歳の時、中学高校からの親友が白血病で亡くなりました。3年ほど入退院を繰り返しての最期でした。彼には早いうちから身寄りがなく、完全な入院生活となった最期の一年は僕も含めた友人3人と彼の彼女の4人で彼を支えました。精神的にも経済的にも。たしかに大変でしたが、それは子供の時間を共有した大切な仲間という宝物であったからだし、大変だと思う一方彼からの人としての愛情、そして仲間を頼り、思う気持ちを貰いました。彼は一足先に逝ってしまいましたが、僕たちに宝物を残してくれて行ったと思います。
彼のお骨は九州の遠縁のお墓に入りました。それから10年は毎年お墓参りに行きました。実はその彼の母も17の時ガンで亡くなりました。その時も僕は彼と彼の母のお見舞いに何度も行ったものです。お墓には先に逝ったお母さんと一緒に納骨されています。
しばらく、多忙にかまけて行っていなかったので来年こそはお墓参りに行こうと思います。お盆だしね、そんなことを思い出してしまいました。
感性や感受性というものは誰にでも備わっているものだと思います。よく感受性が豊かであるとか、感性が鋭いという言い方をされますが、僕はその言い方自体無意味なものに思えてしまいます。
感性や感受性は誰にでもあることは疑いようのない前提です。感性が共通するものが出会った時に相手を表するのに都合のいい言葉なんだと思うのですよ。悪い意味ではありません。でも、感性も感受性もその人のごく一部。そのごく一部を見てすべてのことのように思われたり、意識するともなく共通する感性の期待に応えようとしてしまったり。ももさんが感じている居心地の悪さはそういうことではないでしょうか。
南大東島で流れた涙はももさんが考えた通りですよ。
大きな自然に出会い、ただもう動物として流す感動の涙と
過ぎ去りし思い出の去来する少しばかり悲しみの涙です。
南大東島では朝6時に起きて撮影に出かけ、お昼を食べたらちょっと昼寝をしてまた撮影に出かけ、夜になった一旦集落に戻って夕飯を食べ、また夜の撮影に行き3時に宿に戻るという繰り返しでした。小さい島なのでざっとロケハンをした後で、決めたところを次々と撮影して行くのですが、僕がいまシリーズで手がけている作品ではパチパチ軽快にシャッターを切って行くというものでなくて、被写体をじっくり見て三脚を立て、カメラのファインダーを見て絵をつくるというゆったりと時間のかかる撮影方法なのです。一時間かけて一枚。そんな感じなんですよ。
移動したり、ロケハンしている間は自然に感動する涙が流れ、撮影が始まるとそのゆったりした時間の中で、さまざまなことが心に湧き上がり涙を誘うのです。移動と撮影を交互に繰り返していたので、まさに涙の意味も交互だったんですよ。いずれにせよ、随分と涙腺が緩くなってしまう島でした。
そして自転車、プチ一人旅、二人旅いいですね。
宝物がいてくれてこそですね。二人はもちろん楽しい。
一人で出かけても待っていてくれる人、場所があると思うと一人も寂しくないし、一人の時間が大切に思える筈です。
ままちゃり、こだわってください。モノでしかないけれど、心を動かす手助けをしてくれる大切な相棒ですからね。
ところで、月島、もんじゃ焼きは食べましたか?
もてぎ
『そうなのです。誰しもがそう思っているのです。僕自身だってそうです。
成れる、成れないということで言えばそれは確かにごく一部です。』
とにかく好きな事の技術を勉強して、
ひたすらがんばって、がんばって、
やりつくそう。
こういうことですよね。
私にとっては勉強。
とにかく技術が確立しないと話になりませんし。
『でも、誰しも自分が自分自身にとって特別で大切なものです。
だからこそ自分を大切にしなければいけないし、他者も同じ思いであるのだから他者も大切に思ってあげなければいけないのです。
そんな風に考えると少しばかり面倒なことが減るような気がしませんか?』
減らすことが出来ます。きっと。
こちらから人を傷つけることはなくなりますし、
相手もそれに答えてくれる可能性がでてきます。
それでもなお、自分が傷つけそうになったら、相手から離れることもできますし。
この、『可能性がでてきます』の言葉。もてぎさんの言葉には、きちんとじぶんの意見が言葉に反映されてて、なおかつ、意味のぶれが少ないのですね。
『大きな病気の人と接することは健常なものにとって確かに負担です。ですが、その負担そのものが愛情なのだと思います。愛情はいつも喜びだけとは限りませんから。』
私の彼は『ふところ深い人なんだね。』と、もてぎさんの事を私に言いました。
その意味がよく分かりました。
白血病ということだけを聞いても、
悲しすぎます。
そんな若くしてみよりのない方がいるんですね。自分がこの世界から消えてしまうまえに、とてもとても苦しい思いをいっぱいしたのですね。
そんな中で、もてぎさんの存在に救われたのですね。
私には友人が多分いないと思います。
病気の闘病の話をしました。
それでも、私の事本当には理解してくれません。
私が時間を大切にしてること。
私が食事を大切にしていること。
そんなことより、
親にマンション買ってもらって、
好き勝手生活している。
多分こういう認識だと思います。
だから、嫉妬という態度が出てました。
会った後の、とりつくろいの電話でわかっちゃったんです。
さびしかった。
人間って色々感じとりますよね。
でも、それを客観的になれるかどうかは、その人への思い入れにかかわってきます。
だから、見えなかった。
でも、私の彼が私に優しい態度をとります。だから、その違いに気がついてしまったんです。
この事実に気がついたとき、
私と彼は寂しくなりました。
彼には実家にかえれば友人がいます。
でも、私には本当にいないんだなって。
父親の事を相談したときも、
そんなのたくさんいるよ。
こう言う友人もいました。
私はそのときに諦めました。
私のこの境遇が個性。
こう考える人がいる。
はっきりいって、がっかりでした。
母のかかりつけの医者に私を相談したとき、『ステロイドを使用してた分、体は副腎皮質ホルモンを自分で出さなくなる。だから、いきなりは本来やめちゃいけないんです。もしかしたら、ある日いきなり心臓が止まるかもしれませんよ。甘やかして育てた子は特にホルモンが出にくくなってます。網走に捨てて、精神的に修行するとかそんな次元です。よく本屋に行ってホルモンについて勉強してください。』そう母伝えに言われました。
死ぬかもしれないの?
最初は少しだけ怖くなりました。
うなぎでも食べにいこうという事になり、病院ちかくにある店にいき、
鰻がでてくるあいだ、まってました。
それまで我慢してた何かが破裂するようなかんじ。涙がたくさんでました。
母と二人で大泣きしました。
がんばるしかないね。
もう、悲しかった。
でも、今は回復期です。
1年かかりました。
もう大丈夫だと思います。
こういうことは言わなかったけれども、分かってほしかったなぁと思いました。
もてぎさんの話をしたときもそうです。
私は、もてぎさんの言葉をこの人に伝えたかった。
でも、写真家の人との会話がステイタス。こう捉えたみたいです。
だって、俺の友達は映像をとっていて、それが結構有名ななんとかで、きれいだっとか、なんとか。
そんなかんじです。
もてぎさんの宝物。すてきですね。
その亡くなった方の存在だけで、
そのぶん強くなれるし、優しくなれます。
宝物というぐらいだから、そうみつからないみたいです。
『経済的にも』
確かにそうですよね。
精神的にも。
これは、きっと怖いくらい胸につきささりそうです。
私だったら、逃げ出さずにいられるかを考えました。もし彼がその状態なら、
私はがんばって彼のそばにいます。
宝物。
いい言葉ですね。
その親友の方のお母さん、ずいぶん早くになくなられたのですね。
17歳で、その体験は....
きついです。そんな境遇の方がいるのですね。もう想像の範疇をこえてます。
だから、人にそんなに優しくなれるのですね。
来年、お墓参りに行く時間ができるといいですね。
なにをそこで思うんでしょうね。
もてぎさんも体大切にしてあげてくださいね。
『感性や感受性というものは誰にでも備わっているものだと思います。よく感受性が豊かであるとか、感性が鋭いという言い方をされますが、僕はその言い方自体無意味なものに思えてしまいます。
感性や感受性は誰にでもあることは疑いようのない前提です。感性が共通するものが出会った時に相手を表するのに都合のいい言葉なんだと思うのですよ。悪い意味ではありません。でも、感性も感受性もその人のごく一部。そのごく一部を見てすべてのことのように思われたり、意識するともなく共通する感性の期待に応えようとしてしまったり。』
これは思春期に教えていただきたかったです。
私も人をうらやみ傷つけたからです。
今は、もうそんなどうでもいいことは
しませんけどね。
『共有』の幸せがわかりましたから。
『そのごく一部を見てすべてのことのように思われたり、意識するともなく共通する感性の期待に応えようとしてしまったり』これでしょうね。
だから人は物に執着したり、
なぜか大きくみせたり。
ちょっとずれたコメントになったのは、自分の事にあてはめたからなのです。
『南大東島で流れた涙』
『南大東島では朝6時に起きて撮影に出かけ、お昼を食べたらちょっと昼寝をしてまた撮影に出かけ、夜になった一旦集落に戻って夕飯を食べ、また夜の撮影に行き3時に宿に戻るという繰り返しでした。』
ずっとですね、
集落。どんななんでしょう。
昼寝。ごろっとでしょうか。
1日をそのように過ごせる。
やっぱり、好きなのですね。
そして、もっとびっくりしたこと
『1時間かけて1枚』
あらら。
これが率直な私の言葉です。
面白いなぁとおもいました。
1時間かけて1枚。
長い時間とりたくなりますね。
長い時間かければ、もっともっと貴重な写真がとれますね。
1日で数枚。
なんだか面白い。
そんな撮り方があるのですね。
また、面白いこと教えてもらいました。
でも、本当に好きじゃないと出来ない作業ですね。私の1時間って結構長いです。でも、もてぎさんのその1時間は短かったりもするのかもしれませんね。
パチパチ撮りたくなったりしなかったんですか?
『移動したり、ロケハンしている間は自然に感動する涙が流れ、撮影が始まるとそのゆったりした時間の中で、さまざまなことが心に湧き上がり涙を誘うのです。』
感受性が豊かという言葉が使えないのなら、どう表現したらいいのでしょうか。
心が澄んでいるのですね。
うらやましいです。
きれいなのですね。
同じ事を考えるにしても、
もてぎさんと私では考える深さがちがくて、
その考え方を少し教えてもらえて、
幸せな気持ちになりました。
世界観。
私だけの世界観。育ててみたくなりました。
さいわい、私の夢は会計士になって好きなように働くことですから、
勉強をそれこそ沢山すればなれる可能性があります。
がんばってみようかな。
もう少しだけ休んだらまた頑張ってみようと思います。
『ままちゃり、こだわってください。モノでしかないけれど、心を動かす手助けをしてくれる大切な相棒ですからね。
』相棒のままちゃりは悲鳴をあげてますよ。
ぎこぎこ言うんです。
大切にします。
彼はロードレーサーでしゅんしゅん、
わたしはママちゃりでぎこぎこ。
ちょっとアンバランス。
でも、彼のスピードが私にあわせて遅いのが面白いんですけどね。
『そして自転車、プチ一人旅、二人旅いいですね。
宝物がいてくれてこそですね。二人はもちろん楽しい。
一人で出かけても待っていてくれる人、場所があると思うと一人も寂しくないし、一人の時間が大切に思える筈です。』
もてぎさん。
真剣に宝物みつけてください。
もてぎさんって、どんな人が好みなんですか?
好みの人と好きになる人は違うかもしれませんが、なんとなく聞いてみました。
『ところで、月島、もんじゃ焼きは食べましたか?
』
食べれません。。。。
これが私のさびしいことです。
その日は父と母と三人で、
おやすみしているもんじゃ屋の
前のベンチでスーパーで買ったスイカを食べました。
そして、父は月島のこういう小道が好きなんだぁといいながら色々みせてくれました。
もんじゃを食べるとしたら家で食べます。
私の1日に食べてるもの。
納豆、豆腐、魚が少し。
だいたいが芋とカボチャです。
野菜と海藻ときのこ。
のりやうめぼし。ぬかずけ。
たまに小豆たべます。
卵や肉、乳製品は、3ヶ月に1口くらいでしょうか。
植物油もとりません。
麦ご飯を3日に1回くらい。
1日1回は、うどんか素麺。
砂糖もあんまりとらないのです。
1年間こんな感じでした。
来年はもうちょっと食べれるようになるかなぁ。
なので、お店の人に毎回何入ってるかきくのが面倒なのと、食事の空気を悪くしますから、外ではほとんど食べません。
彼もいつのまにか同じような食事になりました。
何にも言わないですけど、
お肉すきな彼がほとんど食べないのです。わたしよりは多く食べてはいますが。
このことを今日ふと仕事中考えたら、
涙がでました。
愛情をかんじました。
これかわないの?と言うと、
一緒にたべれなきゃ意味ないじゃん。
といつも言ってる事を思い出しました。
いつもよりずっしり感じました。
そしてもてぎさんにも涙しました。
多忙の中の大切な大切な時間。
貴重な時間ですよね。
本当だったら私とは何も接点がないのに。
おしげもなくお話してくださいました。
ありがとうございます。
ももさん こんばんは。
きょうはすごい雨でしたね。夕方は寒かったですが、大丈夫ですか?
僕はうっかり薄着のまま食事に出かけて寒い思いをしてしまいました。
いつも、こうしてももさんにお話をしながら、僕は僕自身の考え方をもう一度自分自身に刷り込んでいます。なぜなら、お話ししていることのすべてを僕自身が実現できているわけではないからです。
「もんじゃ焼き食べましたか?」失敗でした。
ももさんの状況を少しは知っていて、容易に想像のついたことなのに何の配慮もなく聞いてしまったこと反省しています。ごめんなさい。
でも、ももさんの返信を見て、よりももさんの状況や環境を知ることができて良かったです。月島で食べたスイカ、僕にも目に見えるようです。いつまでもふと思い出す思い出になるのではないでしょうか。
でも、なにより「一緒にたべれなきゃ意味ないじゃん。」という彼の言葉、素晴らしいですね。愛情の意味を教えてもらったように思います。共有すること、共にあること。その言葉の机上の論理ではない現実の言葉です。
共にあることをお互い感じることができるのは、幸福のひとつのかたちなのではないでしょうか。
僕は、僕自身の考え方を実現することに固執してしまう悪い癖があります。他人に対して求めることではありません。自分自身が実現することです。こうして考え方をお話しすることもそう多くはありませんし、ましてや人に強要することではないと思っています。しかし、それをして一押しがなくて冷たいと言われてしまうこともあります。
僕の心が澄んでいるかと問われれば、そうであることもあるし、そうでないこともある、です。僕の心の中にはいいヤツも住んでいれば悪いヤツも住んでいます。誰しもそうなのではないかと思います。そうした矛盾に妥協と折り合いを見つけ出して行くのが円満な解決法なのですが、自分の中に沸いてくる矛盾、自分のずるい部分に、どうも目をつぶりかねてしまうのです。矛盾の解決に固執するあまり、宝物を失ってしまいました。共有する気持ちが薄れて見えてしまったのでしょう。少しばかり、妥協する賢さがあれば宝物はいつまでも、そばにあった筈だったと思います。
しかし、そんな悪い癖も友人という存在になると悪い癖でもないように思います。まず先に共通点を見つけ出し、グルーブ感を共有しようとする人付き合いは得意ではありません。僕にとって人は、違う存在です。仕事や作品制作、あそび、それぞれに友人がいて、それぞれが違う存在です。仕事や、作品といった目的は共通していますが、考え方、行動はそれぞれ違っています。その違いが共通の目的に対して面白さや満足を与えてくれ、違う存在であることに感謝をしています。こうした友人関係は、目的が達成すると消えてしまうことも多く、友人は流動的です。ですが、同じ目的を得るに近いところにいる場合は時間を経て、また目的を共有することも多いものです。長く続く友人や20年を経て復活した友人、一度は仲違いした友人、最近の友人。さまざまな友人たちに求めることはありません。一緒に過ごす時間が思い出となり、自然な共有意識が生まれれば十分ことだと思います。友人は違う存在であり、状況が変われば離れて行くこともあるし、戻ってくることもあります。個としての友人にこだわることはないと思います。
雑誌など、メディアでは「親友」「一生の友」などの言葉が氾濫し、そうしたものを持たなければならないかのように、自然と刷り込まれています。そうした関係もあるでしょうし、心地よいものかも知れません。しかし、われわれは個です。ひとりひとりが違う存在なのです。皆が同じである必要はないんですよ。
そんなことに心煩わされるより、宝物と思える彼との時間を大切にするべきです。ここだけは間違ってませんよ。
そして、きょうも僕の大好きな写真の話をさせてくださいね。
写真にはいろいろな撮り方があるんです。長い時間をかけて一枚を撮るものや、本当に機関銃のようにぱちぱちたくさん撮るもの。仕事の写真でも、撮影前にちょっと打ち合わせをしてすぐに終わってしまう撮影もあれば、何ヶ月も前から準備をしてたった一枚の写真をとるもの。お金の面でも、ほとんどお金をかけずにたくさん撮るものから、一枚の写真に何百万というお金をかけるものまで実にさまざまなんです。でも、そのどれもが僕にとっては同じ価値をもつ一枚なのです。大切なのは自分の心の中のイメージですから、それがどのような技法や予算で撮影されたかは意味を持たないのですよ。
今年と来年と二つの個展を開きますが、そのどれもがイメージを持ってから3年がかりなのです。一枚だけではなくて、一つのテーマで何十枚と写真を集める個展ではそれくらいの撮影期間が必要になります。その長い時間の間、ひとつの同じイメージを持ち続けるのです。だからこそ、作品そのものが僕自身の人生の時間であってとても大切なものなのです。そうしたものを見てもらうことは心の奥底を覗かれるようで、恥ずかしくも嬉しくもある瞬間です。だからこそ、写真家という呼称は職業ではなくて生き方のことでもあると捉えられているのです。そうしたものに時間とお金、人生をかけて行くことの意味は、有名になることでもお金を稼ぐことでもありません。純粋なリビドーであり、なにも報酬がなくても突き動かされるものなのです。
今回の南大東島の写真の一部は来年2月に個展とは別の写真展で発表予定です。また、一部は再来年に個展として発表することになると思います。
ああ、また長くなっちゃいましたけど、ことのついでにももさんがおもしろがってくれそうな話をひとつ。
来年1月に個展開催予定の作品の最終撮影は今年の年末年始でした。12月29日に東京を出発して雪降る東北を10日間巡ってきました。このシリーズの撮影はこれまた時間のかかる撮影で丸一日がんばっても4枚撮れればいい方。毎日、車中泊で朝目が覚めたらすぐに撮影開始。じつはこのときはフイルムでの作品なので撮影したらすぐに現像して定着、水洗というフイルムならではの薬品作業をするんですよ。だから、移動も入れると2時間で一枚がいいところ。そして日が暮れたら次のロケ地に移動です。移動の途中では水場のある公園を見つけて、フイルムを現像した薬品を洗い流すための水を手に入れなければなりません。真冬の雪降る夜の公園で、水を汲んだり、フイルムを洗う作業をする姿はアヤシイことこの上なしです。自分でもちょっと笑っちゃいました。さらにアヤシサ倍増ですね。そしてフイルムを洗い終えたら、クルマの中にフイルムをぶら下げて乾燥させながら雪の夜道をドライブです。そんな旅をほぼ10日間。僕は楽しかったですけれど、そんな旅に一緒に出かける宝物、いないでしょうねえ。 もてぎ
おひさしぶりです。
実はわたしには、1ヶ月ぶりくらいの感覚なのです。
こないだの友人関係のショックから、何日かごはんも食べず、眠れずで、いつしか妄想と現実の世界が分からなくなり、息ができなくなり、救急車で運ばれました。そこで「よしちゃん(彼の名前)とすいか」とずっと言って息ができる状態でした。
自分がこんなにも弱かったことに驚き。
それで、救急で精神病院に入院することになり、最初はERという部屋で3日。
それこそ、ずっと薬で眠ってました。
刑務所の独房のかんじ。ただ、部屋が木目でおしゃれでしたけど。
容態が安定してるので、ICUに移されました。痴呆症のおばあちゃんや、どうみても20代に見える韓国人(まきせりほ似の自殺未遂した40代の方)と、水中毒のふうちゃんと、おじょうさん育ちの神経がか細い人と、3日間くらい塗り絵や歌を歌いながらすごしました。
それから、ビップ室に移され、そこで初めての友人ができました。
ロシア人のアナスタシアと、医者の奥様のちさとさん。そして、役者の卵のおじょうさんのあさみさん。
そこで1週間すごしました。
頭がおかしくなって、12日で退院できました。
自分の話はここでおしまい。
「そして、きょうも僕の大好きな写真の話をさせてくださいね。」
もてぎさんの子供っぽいかわいさが出てるように聞こえました。
「写真にはいろいろな撮り方があるんです。長い時間をかけて一枚を撮るものや、本当に機関銃のようにぱちぱちたくさん撮るもの。仕事の写真でも、撮影前にちょっと打ち合わせをしてすぐに終わってしまう撮影もあれば、何ヶ月も前から準備をしてたった一枚の写真をとるもの。お金の面でも、ほとんどお金をかけずにたくさん撮るものから、一枚の写真に何百万というお金をかけるものまで実にさまざまなんです。でも、そのどれもが僕にとっては同じ価値をもつ一枚なのです。」
それを同じ価値だと思えるなんて、
すごい。
もし私なら、思い入れの深さが出てしまいそう。と思いました。
「大切なのは自分の心の中のイメージですから、それがどのような技法や予算で撮影されたかは意味を持たないのですよ。」
心の中を映し出す。
それをあとで、確認できたり、、、、、
なんて話してましたよね?
そこらへんと関係してくるのかなぁ。
ごめんなさい。私あんまり頭よくないので、
もうちょっと理解できればいいのに。
と思いました。
私は会計に興味あるので、どうしてもお金のこととか人件費のこととか計算に走ってしまいます。。。。
もてぎさんは、純粋なんですね。
「今年と来年と二つの個展を開きますが、そのどれもがイメージを持ってから3年がかりなのです。一枚だけではなくて、一つのテーマで何十枚と写真を集める個展ではそれくらいの撮影期間が必要になります。その長い時間の間、ひとつの同じイメージを持ち続けるのです。」
ぶれずに、3年間・・・・
すごい世界。
それを聞いたら、もっと作品を大事に見ようと思いました。
もてぎさんとコメントランで、お話すると、価値観が変わってきます。
おもしろい!
「だからこそ、作品そのものが僕自身の人生の時間であってとても大切なものなのです。そうしたものを見てもらうことは心の奥底を覗かれるようで、恥ずかしくも嬉しくもある瞬間です。」
そういいきれるんですね。
素敵です。
私が健康のことを考えてる時間、
もてぎさんが一生懸命写真とむきあってる。
なんだか面白い!
「だからこそ、写真家という呼称は職業ではなくて生き方のことでもあると捉えられているのです。そうしたものに時間とお金、人生をかけて行くことの意味は、有名になることでもお金を稼ぐことでもありません。」
有名やお金のことが頭にあると、
かえって写真に結びつかないですね。
なるほど。
なんだか、私ももう一度好きなものに向き合おうという意識が出てきました。
ちょっと怖いですけど。
エッセイなんか書いてみたいなと思いました。
書くのは自由ですから。
「純粋なリビドーであり、なにも報酬がなくても突き動かされるものなのです。」
はい。
そういうものなのですね。
私がスーパーでお客さんのために接客してたのもそんなかんじなのかなぁ。
ごめんなさい。私はこんな想像しか出来ません。。。
「今回の南大東島の写真の一部は来年2月に個展とは別の写真展で発表予定です。また、一部は再来年に個展として発表することになると思います。
ああ、また長くなっちゃいましたけど、ことのついでにももさんがおもしろがってくれそうな話をひとつ。」
ちゃんと私のこと考えてくれてるんですね。
なんだか嬉しいです。
そういってもらえるだけで私は幸せです。
なんてね。ちょっぴりくさくなってしまいましたが。。。
「来年1月に個展開催予定の作品の最終撮影は今年の年末年始でした。12月29日に東京を出発して雪降る東北を10日間巡ってきました。このシリーズの撮影はこれまた時間のかかる撮影で丸一日がんばっても4枚撮れればいい方。」
実は彼は東北出身なんです。
はじめての友人も。
4枚ですか!!!!!!
少ないですね。
もしかして、東京アーカイブにのっける写真も何枚かの1枚ですか?
「毎日、車中泊で朝目が覚めたらすぐに撮影開始。」
健康状態は大丈夫なのでしょうか。心配。
「じつはこのときはフイルムでの作品なので撮影したらすぐに現像して定着、水洗というフイルムならではの薬品作業をするんですよ。だから、移動も入れると2時間で一枚がいいところ。そして日が暮れたら次のロケ地に移動です。移動の途中では水場のある公園を見つけて、フイルムを現像した薬品を洗い流すための水を手に入れなければなりません。」
なにやら、面白そうな匂いがしますね!
公園で、もてぎさんが一人?で洗うのをそうぞうしてたら、面白くなってきました。
「真冬の雪降る夜の公園で、水を汲んだり、フイルムを洗う作業をする姿はアヤシイことこの上なしです。自分でもちょっと笑っちゃいました。さらにアヤシサ倍増ですね。」
いま、まさに私も読んで、にやりと笑ってしまいました。
もてぎさんって身長どれくらいなんでしょうか。なんとなく背中を丸めてるイメージです!
「そしてフイルムを洗い終えたら、クルマの中にフイルムをぶら下げて乾燥させながら雪の夜道をドライブです。」
ぶら下げながらのドライブ・・・・
面白い!
そこに、宝物がいれば、なおいいですね!
「そんな旅をほぼ10日間。僕は楽しかったですけれど、そんな旅に一緒に出かける宝物、いないでしょうねえ。 もてぎ
」
現時点で、好きな人はいないのですか?
もしかして、前に進めないでいるのですか?
恋愛話はもてぎさん得意じゃなさそうだから、ここらへんにしときますけど。。。
今回思いました。
いつ死ぬか分からないので、
月島のもんじゃ、早めに1回食べようと思います。
いいお店ありませんか?
月島けっこう私は好きです。
でも、私の今の一番好きな場所は、
東京ミッドタウンの下のスーパーなんですけどね。
ももさん
こんばんは。
しばらく、ももさんの姿が見えずどうしていていたのかなと思っていました。
入院していたのですね。
意識に関わる病気は、すこし前まで精神的なものであるというだけですまされてしまいましたが、今は生化科学的な病理反応と捉えられてきていますよね。
本当に心の痛みは体の痛みに変わりますから。
精神的な病気に限らず、原因を特定しづらい病気はおしなべて気の持ちようや精神力にすり替えられてしまいがちです。
この数年のあいだ、仕事仲間の同年代数名が鬱病にかかりました。十年前なら、精神の病気だから気の持ちようだと片付けられてしまったかも知れません。今は、鬱病をはじめとする心にまつわる病気も脳内物質の分泌異常やバランスを欠くことから原因を発することが解ってきて、メンタルケアやヒーリングだけでなく薬学としての治療も行われるようになってきましたね。僕の友人たちもほとんどは以前と変わらぬ職場に復帰できました。
心も体も、人間にとって同一のものであると思えます。よく厄年といいますが、統計としてそのくらいの年齢を迎える頃に病気になりやすいということなのだと聞いたことがあります。まさに男の厄年、42。その頃に集中しました。
僕自身は幸いなるかな、交通事故で長い入院をしたことはありますけれど、病気での入院はありません。事故ならいつしか折れた骨もついて、以前の生活に戻れる希望が最初からありますが、病気、不安なのでしょうね。
ももさんの病気と向かい合う生活、本当になんと言っていいかわかりません。いくつかの遠回りな経験から想像するだけです。
ももさんは弱くなんかないのではないかと思います。
たぶん健康であろう僕でさえ心の痛みやら、体の痛みやらを知っていて、そうしたものから遠ざかろうと生きているのです。
そうしたものに向き合わざるを得ないことを経験したことがありません。
そこに向き合う、そのこと自体がとても大きなことだと思います。
ももさん。夢を見ましょう。
夢、将来の夢はお聞きしました。もちろん、その夢に向かって行ってほしいと思います。それだけでなく、夜に見る夢、夢想、幻想、夢という言葉はいろいろな心の活動を言い表しているのだと思います。そんな他愛もない夢の中に踊ることはとても安らぎです。今に限らず世の中というモノの中にいるとその世の中で求めるかたちがあります。幸せはこうあるべきだとか、男は、女はこうあるべきだとか。そのかたちを求めることが幸せであると考えることとそのカタチにとらわれることがストレスであると考えることがいつも背中合わせなのではないかと思うのです。うまく行く時はことさら幸せだし、うまく行かない時はことさら不幸せです。
でも、夢は他愛のないものほどそうしたカタチから離れて行くことができると思います。
ももさんが病気と立ち向かう心を僕が理解できているわけではないでしょうけれど、他愛もない夢、そんな夢を見ること考えることが少しだけももさんを助けることができるのではないかと思います。
エッセイを書く、人の目を気にせずに書く。でもそのうちに人の目にさらす。
僕の写真もいつもそんなふうです。他愛もない夢をすこしばかりカタチにして見て、人に楽しんでもらう。あわよくばほめてもらう。
気休めを言う気ではないです。そんな楽しみが病気に立ち向かう不安を少しばかり削り去ってくれそうな気がしたものですから。
ももさんがいつも笑顔になれますように。
もてぎ
あれれ、ここにコメントが。
びっくりしました。
こんなに心配してくださって。。。
なんだかもうしわけないです。
でも、すごく嬉しいです。
精神病院って誰からも隔離されてましたし、
時計もないし、なにもないしで、自由に裸足で、かけずりまわってました。
色々話きけたり考えたり。。。
それこそ、すきなことだけする生活について考えました。
薬は私の場合、やめられるそうですよ。
よかったぁ。
それに、前よりやる気がみなぎってますよ。
仕事はやめましたけど。。
それに、家族や彼との絆が深まりました。
友人もできました。
幸い、うちはあまりお金に困ってません。
なので、ゆっくり勝手にすきなことでもしてればと言ってくれました。
またまた小休憩です。
門限はできましたけど、自由です。
彼と毎日自転車で遊んでます。
彼は心配しすぎて10円はげができると思ったと言ってました。
それに素敵な手紙なんかももらいました。
料理なんかもしてますよ。
家の仕事もすこしだけ手伝ってます。
それに、もてぎさん。
もてぎさんって本当にすごい人だったんですね!
今日家の近くのツタヤで、ポパイみました。
あれれ、本当にもてぎさんがとってる!
鳥肌がたちました。
なんかずうずうしかったなぁと反省もしましたが、どうしてもここにきちゃいます。
だって、すごくおもしろいし、すてきだし、
きれいだし、、、、たのしいから。
だから、わたしが世間知らずでよかったなぁと思いました。ちょっとほかの人からみたらはずかしいですけど、、、
「よく厄年といいますが、統計としてそのくらいの年齢を迎える頃に病気になりやすいということなのだと聞いたことがあります。」
そうなんですかぁ。
わたしは、霊的なものがすごく苦手なのでよかったです。
彼は色々な神社にお願いしにいったそうですよ。そのおかげか、何も後遺症もないですし。ただ、友人関係のことだけが、ぽっかり心に穴があいてたのですが、
昨日大学の時体育の授業が同じだった男の子からメールが来ました。「おきなわいかない?」と。ふたりきりで。わたしのことちゃんと友人だとおもってくれてたみたいですし、久しぶりなのに誘ってもらえて。
ちょっとだけ自分の自信になりました。
あぁ、ちゃんとできてる。って。
病院の人がいってました。
クリエイティブ関係の人は孤独なことがおおいから、ここにくることが多いと・・・
もてぎさん。できるだけ睡眠とってくださいね!
大好きな写真から離れないように。
「ももさんがいつも笑顔になれますように。
」
はい。
笑顔でいます。
大丈夫です。
それよりなにより、もてぎさん猫かってるんですか?
ねこのしゃしんは、東京の風景ではないから、見れないのでしょうね。
どんな、ねこなのですか?
171CMの着膨れしてるまるまったもてぎさんが、誰も居ない公園で。。。。
一生懸命あらってる。。。
おもしろすぎ。
手はつめたいでしょうね。というより痛そう。
ほんとうにほんとうに写真が大好きなんですね!
うらやましいです。
好きのエネルギーって、すごいのですね。
もてぎさんて色々な夢をみるのですね。
月島でもんじゃ!
楽しみです。彼とたべてきますね。
ももさん
薬やめられるって良かったですね。
時間はかかるのかもしれないけれど、健康を取り戻せるんですよね。
やる気がみなぎること、大事なことです。
そうした気持ちになれたことも本当に良かったことだと思います。
ご家族とも、彼とも絆が深まった。そんなふうに実感できるなんて素晴らしいことです。普通になにも考えず生きてしまっていたら、そんな体験はできないでしょう。
でも、門限ができたって、ちょっと可笑しいですね。文面をみながら微笑んでいます。毎日自転車で走り回る。いいですね。そう、小休止が終わって夢に向かいだしたらそんなゆったりとした時間の使い方ができなくなるでしょう。今のうち、思い切り楽しんじゃいましょう。ものすごくいい思い出になるのではないでしょうか。
ポパイでの仕事も楽しんでいますよ。たくさん撮っている時とそうでない時もありますが、時折覗いてみてくださいね。写真雑誌にも記事を書いていて、日々忙しいのですけれど、写真をとことん楽しむ生活です。
そうそう、霊的なものには全く興味はないのですが、写真を撮りに自然の中に入って行くと、ああ、ここには神さまがいるなあと感じることがあるんですよ。人が暮らせないような厳しい自然にそれを感じるんです。厳しくて美しいから圧倒される、そんな時にそういう気持ちになります。
沖縄も小さい島に行くとそんな気になります。沖縄に誘われたんですね。それは口説かれたってことかな?まあどうするかは置いておいて、ちょっと嬉しいことだよね。
ねこはロシアンブルーという種類。全身グレーです。ちょっと凶暴だけどかわいいヤツですよ。ひとの肩に乗るのが好きです。
そして、そしてフイルムを洗う話、喜んでくれましたね。ホントなんですよ。手は冷たくて痛かったです。それでもね、きょうもいい写真が撮れたなあ、と思うとそんなことも気にならなくなっちゃうんですよ。
そして、僕のことも心配してくれてありがとう。睡眠はしっかりとっていますよ。でも、あんまり孤独にはならないようにします。
ももさんには、お会いしたことはないわけですが、ここでこれだけいろいろなお話をしていると、もう友達なのだという気持ちになります。
写真展ぜひおいで下さいね。そこではきっとお会いできる筈ですが、その時はすぐに旧知のひととしてお話できるでしょう。
ネットの時代の面白さですね。
きいろい花の写真すてきですね。
「おらあ、にんげんだあ」と伝えたくてじたばたしてしまう夢は、どうやって写真にするのでしょうか。
わたしは無意識のうちに「とくべつななにか」を求めてました。
いまいちみつからなかったけれど、
ここに来て、ちいさな幸せをいくつも発見できるようになって、とても感謝してます。
「むむ。僕の知ってる秋葉原とはちがう」
笑ってしまいました。
本当にどんどん古いものが消えていくんですね。
わたしがすむ町はふるいものだらけ。
でも、いつかは全部きれいになってくのですよね。
「そう、小休止が終わって夢に向かいだしたらそんなゆったりとした時間の使い方ができなくなるでしょう。今のうち、思い切り楽しんじゃいましょう。ものすごくいい思い出になるのではないでしょうか。
」
本当にそうですよね。
あまりに楽しくて戻れなくなったらどうしようとまで思ってます。笑。
でも、すきなことを仕事にできたら、仕事に対してもやりがいとか楽しさとか違う楽しさがあるのかもしれまんせん。
今は集中力があまりないので、本当に少ない勉強時間しかできてないのが、ちょっぴり悲しいですけど、それでも勉強がやめられないのはすごく好きな証拠なのかもしれません。
あと、ちょっとこれは私の自慢なのですが、
わたしは外国人の友達がほしかったので、入院中ロシア人の女の子に正直に友達になっていい?ときいたら、いいよといってくれました。なので、今がんばって英会話を勉強してるんです。なんとなく選んだ本のタイトルをみたらびっくりしたのですが、「つたえればいい、60歳からの英会話」でした。
外国人でも、あんまり日本人と変わらないかんじの人です。もしかしたら、そうかわりないのかもしれません。
「写真雑誌にも記事を書いていて、日々忙しいのですけれど、写真をとことん楽しむ生活です。
」
記事かいてるんですね。
探して読んでみます。
一日何時間くらい仕事してるんでしょうか。
「空を飛ぶ夢。体の芯がしびれるように気持ちの良い夢」
気持ちよさそうな夢ですね。
こわいようなきもしますけど。
「怖かった夢、ひとがたくさん死んでその魂が流れ星のような光で天に昇って行く夢。怖くて脂汗をかいたけれどその一方でとても美しい幻想でした。
」もてぎさんって、夢まですてきなものなのですね。わたしの想像力では限界があるのが残念です。
でも、もし写真にできれば見れるわけなんですよね。
それこそ絵をかくほうが早く実現できるように思ってしまいました。
「自分の心が動いている」
いい表現ですね。
ときめきみたいなことでしょうか。
わぁっとくる感じでしょうか。
「南大東島では朝早くからでかけ、夜中に帰ってくる生活でしたが、宿の方からは随分怪しまれた模様です、よ(笑)
」
もてぎさんっておもしろい人ですよね。
どこまでも写真をとりに行っちゃうのですね。
おもしろいです。
ところで、本当にわたしのこと友達に加えてしまって大丈夫でしょうか。
わたしは、勝気でわがままで、男の子っぽい性格で、あまり人のこと考えないだめな人です。
なので沖縄も、くどかれたんじゃないのです。もちろん行きませんけどね。ちょっと前なら行ってたかもしれないですけど、今は彼を大事にしてますから。同じことされたら私はおこりますもん。というより寂しくなります。
「そうそう、霊的なものには全く興味はないのですが、写真を撮りに自然の中に入って行くと、ああ、ここには神さまがいるなあと感じることがあるんですよ。人が暮らせないような厳しい自然にそれを感じるんです。厳しくて美しいから圧倒される、そんな時にそういう気持ちになります。
」
人が暮らせないような厳しい自然に行くのですね。観光地ばっかりしか行った事ない私にはいまいち実感がわきません。
でも、グランドキャニオンには圧倒されました。でも、もてぎさんのいうのとはちょっと違いますよね。神社に行くとすこし静かなかんじはしますけど、もてぎさんはすごく心が豊かなんですね。
写真のためならどこにでもいってしまうもてぎさんを想像しました。ちょっとおもしろいです。草むらや木々をかきわけて写真をとりにいってる想像です。
「一緒にたべれなきゃいみないじゃん」
は最近いわないですよ。
「これ、ひとくち食べる?」に、「一口ならいいよ」
で、最近食べ物を買いますから。
わたしも、少し栄養とらないと。って今回の入院で思いました。
栄養と睡眠とストレスと孤独が加わるとだれしもおかしくなる危険性が出てくるそうです。
「ねこはロシアンブルーという種類。全身グレーです。ちょっと凶暴だけどかわいいヤツですよ。ひとの肩に乗るのが好きです。
」
ねこいいですね!うらやましいです!!
彼のマンションの近所で飼ってる人がいます。こないだ、なぜかうちに遊びにきました。そして寝ている彼をじっと見てました。
飼い主さんは、すいませんとあやまりにきたのですが。ロシアンブルーって彼の部屋では、ういてました。毛並みの色が独特だからでしょうか。ねこってかわいいでしょうね。
自由奔放なんしょうか。
私たちも、将来的には飼うつもりでいます。
飼うというよりも、いっしょに住むかんじでしょうか。きょうぼうって所に笑ってしまいました。
「ごはんて何を食べるかより誰と食べるかの方が重要ですよね。
」もてぎさんていいこといいますよね。
きっと、もてぎさんの一言一言で私は優しい気持ちをもてるようになったのだと思います。
宝物。たからもの。
もし会えたら、恋の話もできるのでしょうか。たぶんむりでしょうね。
「その時はすぐに旧知のひととしてお話できるでしょう。」
彼と二人でいきます。
もし彼の時間があえば。
もてぎさんの写真展楽しみです。
写真展って行ったことありませんけど、
きっとずっしり見れるのかなぁと。
思います。
「この数年のあいだ、仕事仲間の同年代数名が鬱病にかかりました。十年前なら、精神の病気だから気の持ちようだと片付けられてしまったかも知れません。今は、鬱病をはじめとする心にまつわる病気も脳内物質の分泌異常やバランスを欠くことから原因を発することが解ってきて、メンタルケアやヒーリングだけでなく薬学としての治療も行われるようになってきましたね。僕の友人たちもほとんどは以前と変わらぬ職場に復帰できました。
」
入院中うつ病の方が何人もいましたが、とてもかわいそうでした。疲れやすいと言っていた女の子がいました。職場復帰できてよかったですよね。本当に。
「僕自身は幸いなるかな、交通事故で長い入院をしたことはありますけれど、病気での入院はありません。事故ならいつしか折れた骨もついて、以前の生活に戻れる希望が最初からありますが、病気、不安なのでしょうね。
」
交通事故で長い入院って、かわいそうです。
交通事故にあうのってこわいですよね。
それいらい何もなくてよかったですね。
本当に健康が一番です。
私の場合、そんなに不安はないです。
なっちゃったもんはしかたないですし、
多分遺伝だと思います。
ストレス社会で今、増えてきてるそうですよ。
ただ、なかなか周りに本当のことは言えませんけどね。
あ、昔のクラスメイトから焼き芋パーティーに誘われました。なんだか最近嬉しいことがいっぱい。着ていく洋服を彼とかいにいきました。それに、明日は敬老の日のプレゼントを買いにいきます。
「夢という言葉はいろいろな心の活動を言い表しているのだと思います。そんな他愛もない夢の中に踊ることはとても安らぎです。今に限らず世の中というモノの中にいるとその世の中で求めるかたちがあります。幸せはこうあるべきだとか、男は、女はこうあるべきだとか。そのかたちを求めることが幸せであると考えることとそのカタチにとらわれることがストレスであると考えることがいつも背中合わせなのではないかと思うのです。うまく行く時はことさら幸せだし、うまく行かない時はことさら不幸せです。
でも、夢は他愛のないものほどそうしたカタチから離れて行くことができると思います。」
もてぎさんのストレスはどのようなものなのでしょうか?
私は今愛情につつまれているので、あまりストレスは感じてませんが、わたしの彼がかわいそうです。働かなきゃいけないのに、私を一人にすると発作が出た時に心配だそうです。
私も甘えてばかりではだめなので、もう少したったら、また仕事を探します。
「それでもね、きょうもいい写真が撮れたなあ、と思うとそんなことも気にならなくなっちゃうんですよ。」
すごく痛くて寒くても、
純粋に写真に癒されてしまうのですね。
話は戻りますが、きっと宝モノさんは、いらないですよ。
もてぎさんには写真がありますもん。
そして猫も。
ももさん こんばんは。
あはは、「おらあ、にんげんだあ」とじたばたしてしまう夢は、写真にできないかも知れません。
「むむ。僕の知ってる秋葉原とはちがう」
「流れ星のような光で天に昇って行く夢」
夜見る夢、日常の中の夢想、幻想。
現実の中に暮らしていても、目に映るものを何であるかを考えると同時にさまざまな幻想をしてしまうのです。
東京は本当にものすごいスピードで古いものが新しいものへと変化して行きます。そんな中で古いものに愛情や懐古を感じるのは、自分自身の過ぎ去り行く時間を少しでも押しとどめたいという幻想なのではないかと思うのです。新しくなって行くものには再生があり、それは希望です。そして同時に、現在という時間が失われ行くことの不安も思わせるのです。実のところ「東京アーカイブ」を続けながら、しみ出して来たものはそんな思いでした。
僕の知っている街を現在に探し、天に昇って行く希望も現在に探したいのです。
ももさんも現在を楽しんでいるようです。贅沢に使える時間の中でたくさんのことを考えること、それが一番の楽しみだと思うんですよ。考えることができるから、仕事や友人、絆、そうしたものが将来につながって行くと思います。僕はすこしスタートが遅かったようですが。
ロシア人のお友達。いいですね。そのために言葉を知ろうとする。素晴らしいことだと思います。
ももさんは、スタートレックというアメリカのテレビシリーズを知っていますか?40年近く前に始まった宇宙旅行がテーマのシリーズです。今も、世代を変えて続いているんですよ。その第二世代のお話のなかで、主人公である宇宙艦の艦長が、圧倒的に進歩した異星人になぜ宇宙を旅するのかを問われる話があるのですが、その時艦長は「探究心」だと言うのです。そして、「探究心」の目的も説明もなにもないのです。ここで語られた「探究心」は知的好奇心とは違ったものです。人類のリビドーが純粋な「探究心」であると言い切ってしまっているのです。とても清々しく思いました。純粋に知らないことを知ろうとする。そこから、いろんなことが始まって行く気がしませんか?
写真の記事は、アサヒカメラ、コマーシャルフォト、デジタルフォト、CAPA、DTPワールドというところに書いています。毎号ではありませんけれど。ブログの右下のあたり、関連リンクになっているところは、過去のウェブ連載と現在進行中のウェブ連載をリンクさせています。大方は技術的な話を書いているのですけれど、時折はギャラリーと言って作品も載せるんですよ。来月あたり、デジタルフォトという雑誌の別冊に屋久島の写真が載ります。同じデジタルフォトの11月号だったかな、ずっと撮影している電線と電信柱の写真も載りますよ。ブログにも書いたかな、電線と電信柱、大好きなんです。なんだか切なくてね。アメリカの国定公園の撮影をしていた時も、その途中では電線ばかり撮っていました。それも変ですね。
グランドキャニオンは僕も行きましたよ!グランドキャニオンも神さまがいる場所だと思います。アメリカで一番好きなところはデスバレーです。言ったことはありますか?まさに死の谷。ここには人は住めないだろうなあ、という景色が延々と続くんです。ここはびっくりしたなあ。こことヨセミテを撮った写真は今年のコダックのカレンダーになったんですよ。
そして、ももさんの想像は当たっています!草むらや木々をかき分け写真を撮りに行くんです。誰も興味を持たないようなところへ。嗅覚が導くようですが、その嗅覚は人様からだいぶズレているようです。南の島の美しい海を目の前にしても、まっすぐそこには行きませんからねえ。
「これ、ひとくち食べる?」に、「一口ならいいよ」
いいですね、ひとつひとつ彼と一緒に体験できることが増えて行く感じ。病気のせいで少しゆっくりしたから、そのようなひとつひとつを積み重ねて行くんですね。とても幸せの匂う言葉な気がしました。
ももさんは勝気でわがままで、男の子っぽい性格で、あまり人のこと考えないそうですが、僕も似たようなものですよ。勝ち気は隠してますけれど、わがままで、人のことを考えないのが本性です。そう知っているので、あんまりそうしないように考えてますが、最後には出てしまいますね。でもね、写真を職業にしている人はおおかたそんなろくでなしばかりです。最後には「おれだけじゃ、ないもんね。」と開き直っているんです。
仕事でストレスはありますけれど、どうせろくでなしだし、遠慮はせぬぞ。と最後に思うんですよ。そうだ、意外に思うかも知れませんが、僕の仕事は多くの人との共同作業で、ひとりになる時間が少ないんです。朝から晩まで誰かしらがそばにいる。ひとりになれないことをつらく感じる時があります。
写真展は是非、彼とふたりで来てくださいね。自転車も見たいですよ。
ももさんに思うことは、写真の話をいっぱい聞いてくれてありがとう、なのですよ。
もてぎ
「きょうはかちどき橋」
私も8日はこの橋を渡りました。
お台場まで遊びにいったのです。
自転車で。
自転車といえば、ママチャリ。
ぎこぎこ音がなりだしたので、
近くの散歩用にしました。
そして、マウンテンバイクを買いました。
ママチャリのベルを新しい自転車につけることにしました。
愛着ってでてきちゃうんですね。
ママチャリも乗ってあげてるのですが、
マウンテンバイクで遠くに行く時、
なんだかうしろめたいんです。
「惚れるなあ。この鉄の鋲。」
またおもしろいこと聞いちゃった。
今度行ったら、じっくり見てみようとおもいます。
きっと、笑いがこみあげてくるんでしょうね。
もてぎさんの変な臭覚。
おもしろいです。
きれいな海そっちのけで変なとこばかり行ってしまう
もてぎさんを想像したら面白くて、面白くて。
でも、へんなとこって言ったら失礼ですよね。
電線とおうちの写真見た時に、
左はじの家だけ形がちがうなぁと思ってみてたら、
文をみて、「電線の哀愁」について書いてあったので、
え??そっちかぁ。と思ってまた見直したんです。
そしたら、哀愁漂うようにみえてしまいました。
あれ、このことは前にも書いたでしょうか。。。
「マッチ箱」「この大きな木に守られていなければならないような、木が倒れたらつぶされてしまいそうな。なんだか危うく感じてしまいました。
」
もてぎさんの頭の中は、すごいことになってるんですね。
きっと、毎日毎日おもしろいこと考えているのでしょうね。
想像力を通り越して、何か違うところで生活しているみたい。
「一日仕事で頭から日に焼けました。脱皮体験できるかも。」
脱皮・・・笑
水元公園って、公園っていうより森みたいな所なのですね。
すてき。
影絵。「冬にはなにかを枝につるしてあげよう。」
もてぎさんは何をつるしてあげるんでしょうか。
なんとなく傘を想像してました。
全然関係ないのですが、
2/3 湊2丁目の写真。一番好きな写真です。
たまに前の写真を見返しているのですが、
1度見たはずなのに、
また違う見方ができて、
文を読むと、おもしろいことがかいてあって、
何度みてもつかみどころが無いようなあるような、
もてぎさんの世界観て不思議がいっぱい。
月綺麗ですね。6月16日の写真。
望遠鏡にもカメラがとりつけられるんですね。
すごくいいですね。
でも、高そう。。。
宇宙とか星とか地球とか月とか
そうぞうするとすごく怖いけれど、
でも、自分のちっぽけな存在が面白く感じる時もあって、
一気に悩みが消えてしまうこともあったりなかったり、
「古いものに愛情や懐古を感じるのは、
自分自身の過ぎ去り行く時間を少しでも押しとどめたいという
幻想なのではないかと思うのです。
新しくなって行くものには再生があり、それは希望です。
そして同時に、現在という時間が失われ行くことの不安も思わせるのです」
そうかもしれないです。
この文章はまだ私の経験では、分かりきれません。
でも、もしこのように捉えたならば、
説明がつくこともあります。
不安すごく感じる時あります。
先のことを考えすぎると、せつなくなりますが、
今を一生懸命いきなきゃなぁと思い直して、
また、がんばって、たまに立ち止まって、
寂しくなり、またがんばる。
わたしは、このローテンションです。
年々時が過ぎるのを早く感じてしまい、
すごく寂しいときがあります。
だからこそ、ベストをつくしたいと肩に力が入りすぎちゃう時があります。
みんな同じ時間を与えられて、限りある時間を過ごしているのですから、
自分だけ悲しがってる場合じゃないのですけどね。
でも、どうしても寂しくなります。
「僕はすこしスタートが遅かったようですが。」
もてぎさんは恵まれてます。
自分の名前が次の世代に残るでしょうし、
生きてる証である写真が残ります。
わたしにはなんにも残りません。
だからこそ、いろいろな人とふれあおうと思いました。
わたしのこと少しでも誰かの心の中にのこればいいなぁと
思ったからです。
「スタートレック」
名前だけ聞いたことがあります。
詳しくは知りませんが。ごめんなさい。
40年も続いてるんですね。
それは、すごい!
「純粋に知らないことを知ろうとする。
そこから、いろんなことが始まって行く気がしませんか?」
探究心。そうなんですか。
気がついてませんでした。
いろんなこと。
もてぎさんは、なにがはじまってるんですか?
わたしも、なにかはじめられるんでしょうか。
小さいことや大きいこと。
もてぎさんは私に色々なことをおしえてくれてます。
私は、すごく臆病であんまり人を信用できない寂しい人間でした。
それこそ、私の彼にも。でも、もてぎさんの優しさにふれて、
わたしはようやく彼に目を向けることが出来たんです。
7年間つきあってようやく。
病気で寝たきりになった時に、人への嫉妬とかは、無くなりました。
でも、まだ、つかみきれなくて、いろんなこと茂手木さんに質問しました。
返ってきた言葉がどれも分かりやすく、とてもやさしいもので、
その言葉を聞いてわたしはまた、自信をもてたり頑張る気力が生まれました。
わたしにとっての写真と、
もてぎさんにとっての写真とは、全く違うもので、
だからこそ、すべてを理解できないのが残念で、
でも、惜しげもなく
いっぱい話を聞かせてくださって、
私は、感謝してます。
それこそ人生勉強もさせてもらって。。。
ここのブログに来た最初の事も、
たぶん好奇心に近い探究心だったのかもしれません。
すごく不思議な体験です。
「電線と電信柱、大好きなんです。なんだか切なくてね。ア
メリカの国定公園の撮影をしていた時も、その途中では電線ばかり撮っていました。
それも変ですね。」
電線と電柱柱。
このブログに2箇所かいてあるのを見た記憶があります。
哀愁は、どんな哀愁なんでしょうか。
どんな角度でみてるのですか?
「電線ばかりとってました。」
もてぎさんの臭覚。
臭覚という表現も面白いですよね。
ただ、純粋に電線に喜んでるもてぎさんを想像しました。
おもしろい。
最初のもてぎさんの印象とは全くちがって、
もてぎさんって不思議でおもしろくて、
ただただ写真がすきで、
それこそずっと写真のことを考えてる人なんですね。
おうちに居るロシアンブルーを撮ったりはするんですか?
知人や友人の人なども撮ったりするんですか?
もし、撮る時はどんな気持ちなんでしょうか。
「アメリカで一番好きなところはデスバレーです。言ったことはありますか?
まさに死の谷。ここには人は住めないだろうなあ、という景色が延々と続くんです。
ここはびっくりしたなあ。
こことヨセミテを撮った写真は今年のコダックのカレンダーになったんですよ。」
デスバレー。名前も聞いたことありません。
死の谷。
人が住めないところも茂手木さんは好きなんでしょうか。
グーグルでデスバレー国立公園(ラスベガス)のを検索してみました。
あってますか?
http://www.lvtaizen.com/sight/html/death_va.htm
グランドキャ二オンとは、また全然違うものなんですね。
行ってみたいなぁ。
ヨセミテも検索してみました。
すごい。すてき。実際いってみたらまた違う印象なんでしょうね。
もてぎさんは自然がすきなのですか?
コダックのカレンダー。
もてぎさん本職すぎです。
コダックのカレンダーの写真は、撮ってきて!と頼まれるんですか?
それとも、これ使わせて。といわれるのですか?
どっちにしても、自分の写真が使われるなんて名誉なことですね!
それに、純粋にうれしいことですね!
すごいなぁ。
「誰も興味を持たないようなところへ。
嗅覚が導くようですが、その嗅覚は人様からだいぶズレているようです。
南の島の美しい海を目の前にしても、まっすぐそこには行きませんからねえ。」
ちがうところばっかに行っちゃうのですね。
自分だけの特別ななにかがあるのは、
とてもうらやましいことです。
「勝ち気は隠してますけれど、わがままで、人のことを考えないのが本性です。
そう知っているので、あんまりそうしないように考えてますが、最後には出てしまいますね。
でもね、写真を職業にしている人はおおかたそんなろくでなしばかりです。
最後には「おれだけじゃ、ないもんね。」と開き直っているんです。」
おもしろい。
ろくでなし。っておもしろい言葉ですね。
「おれだけじゃないもんね」っていいですね!!!
ひらきなおりですか。
おもしろい。
勝気は隠してるんですね。
わたしはだいぶ丸くなっちゃいましたけど。。。
でも、野望はすててません。
「仕事でストレスはありますけれど、どうせろくでなしだし、遠慮はせぬぞ。
と最後に思うんですよ。そうだ、意外に思うかも知れませんが、
僕の仕事は多くの人との共同作業で、ひとりになる時間が少ないんです。
朝から晩まで誰かしらがそばにいる。ひとりになれないことをつらく感じる時があります。」
それは予想外でした。
一人でもくもくと仕事してると思ってました。
私は一人が大嫌いだから羨ましいです。
でも、ずーっと四六時中は、ちょっぴりきついのかもしれませんね。
もてぎさんは、一人で居る時間は好きですか?
わたしは、あんまり好きじゃないです。
たぶん私はひとりっこだから、
甘えんぼです。
周りの人は自分の時間を持てたりして、
いいなぁと思います。
でも、最近ブログにはまってて、
一人でもくもくと書いてたりしますが。
たまーーーーーに、遊びに来てくださいね。
写真につかった残りの時間があればですけど。
ないだろうなぁ。
「ももさんに思うことは、写真の話をいっぱい聞いてくれてありがとう、なのですよ。」
ありがたいのは私のほうです。
さっきも書きましたが、ここでは学ぶことが多いです。
それは、とっても私のこれからの人生にも影響があることです。
どうも、ありがとうございました。
ところで、もてぎさんは何型なんですか?
わたしはO型です。
血液型って本当はちょこっとしか変わらないものなのに、
なぜか少し性格が見えたりします。
これも、統計でしょうか。
ももさん、おはようございます。
マウンテンバイク買ったんですね。どうですか?
ママチャリ、ギコギコ音がするぐらいたくさん乗ったんですね。すごい。
ももさんも、銀座や勝ちどき、月島によくくるんですか?僕は家が葛西臨海公園、仕事が銀座/八丁堀なので「東京アーカイブ」はどうしても、東京の東側になってしまいます。練馬とか杉並とかも面白そうなんですが、なかなかそっちまで行けません。
鉄って大好きな素材なんですよ。固くて強くてたくましさの象徴なのですけれど、雨で錆びて土に帰る。もちろん、土に帰るまでものすごく時間はかかりますが、時間を無視しちゃうととても強くて、でも儚い。そんな風に思えてひとしお、鉄を好きになってしまいます。ずっと鉄を撮っている作品シリーズもあって、これは鉄を炭火でチンチンに焼くんです。すると真っ赤になるでしょ。そこを撮影するんです。真っ赤に焼けて光る鉄。とても奇麗な生き物に見えるんですよ。
旅行に行っても観光の場所にはまず行きません。青くてきれいなビーチを目の前にしていても、見ていなかったりします。でもね、撮影旅行に行く前にはガイド本とか、あ、地球の歩き方ですよ、たくさん買い込んで調べるんです。そして、一番最後はグーグルアース。グーフルアースを何時間もかけて見るんです。地形とか、影とか。そして、自分の好きな風景があるかどうかを想像するんです。だいたい、それで見つかるものです。でも、そこはきれいなビーチの脇のなんでもないところ。だったりするんです。
たしかに、まちがいなく、へんなところです(笑)
電線。
電線が哀愁があって切ないものに感じるのはなぜなんでしょうね。無作為に増設され、だれも見向きもしないもの。けれど、電線のつながる先には家があり、かならず人の生活がある。そして、遠い日の思い出のなか、暑さに負ける日、失ったものに涙する時、ふと空を見上げるでしょう?そのとき、美しい青空とどこかに電線がいるんです。空を美しく感じるのはすごく当たり前だけど、その視界のなかに、どうでもいい電線がいるんです。思い出のキーワードなのではないかと思うのです。ところで「デジタルフォト」という雑誌の11月号で電線の写真を特集してもらうことになりました。表紙も電線です!
デスバレー、グーグルしたところで合ってますよ。湖が干上がって塩の大地になっています。暑くて何もなくて本当に人が住めないと思えるところ。アメリカで言えば観光地で、ラスベガスから日帰りバスツアーがたくさんあるようです。人気のコースらしいです。でも、いわゆる観光施設がほとんどないのでバスのなかから荒涼とした風景を眺める。って感じなのかな。バスの窓枠にかたどられて、まるで、映画を見ているような気分になれるのではないか、と思います。
ひとりの時間、大切です。ひとりでいることは嫌いじゃありませんが、寂しく思うことのほうがほとんどですよ。ただ、何かに集中する時はひとりでないと、はかどりません。写真は、ただ撮影するだけでなく、その写真を撮るための準備が9割、撮影そのものが1割。そんな感じなんです。仕事の写真では、目的とする写真のために多くのスタッフが関わり、四六時中打ち合わせをしたり、撮影後のデザイン、印刷のためのデータをデザイナーに渡す作業をしたりとひとりで集中できる時間はわりと少ないのです。個人的な作品でも、多くの人の助力を得ての撮影も多いのでそうした協力をしてくれる人との打ち合わせや対話はとても大事です。日常でいえばひとりになれるのは、通勤の時と夜中の作業時間のときでしょうか。
そしてももさんのブログたまに見に行ってましたけど、このところリンクが途切れてたどりつけません。すいませんけれどブログのURLを教えてください。
僕はA型です。たしかに自分がA型であると思える時も多いのですが、周りはA型と思ってくれてないようです。
もてぎ
もてぎさーん!!
私にも親友いましたよ!
昨日もてぎさんの話もしました。
マッチ箱の話と電線の話と鉄の話。
大手町から築地へそしてお台場までの往復歩いたんです。
あるきながらいっぱいいっぱいはなししました。
すごく楽しかったです。
私たちは電線には何もかんじないよね。
でも、もてぎさんは・・・
てなかんじで、ずっとずっと話してました。
はぁ、報告おしまい。
マウンテンバイク!実はままちゃりのが疲れないですし、坂に強いのです。
かごもありますし。。。ママチャリって実はすごい乗り物です。
でも、わたしのマウンテンバイクは折りたたみできますし、かっこいい!のです。だから、たまに「かっこいいのにのってるのよ。」と思うことがあります。
ちなみに、その友人は「わたしママチャリしかないから今度ママチャリで参加させて!」といってましたよ。
そして電線ばっかりとってるもてぎさんを二人でそうぞうしたんですけど、おもしろくておもしろくて、二人でわらいころげてました。
それも、失礼なはなしですよね。ごめんなさい。
あ、電線が表紙ってすごいですね。11月号ですね。楽しみにしてます。
「ももさんも、銀座や勝ちどき、月島によくくるんですか?」
行きますよ。
お台場も。
もてぎさんは、ほぼ毎日いるんですね。
あそこらへん大好きです。
わたしの家からはだいぶ遠いですけどね。
葛西臨海公園ってディズニーの近くでしたっけ・・・
もてぎさんってディズニーランドとかいくのかなぁ。。。
いかなそう。
「時間を無視しちゃうととても強くて、でも儚い。そんな風に思えてひとしお、鉄を好きになってしまいます」
そういうふうにみてたんですかぁ。
すごいなぁ。
もてぎさんって頭もいいんですね。
鉄の真っ赤にやけるところは、たまーに、TVで見ることあるので、
なんとなくは想像つきますが、
たまーに、火花がちってる工場を生でみるとき少しびっくりするので、
もしかしたら、綺麗な生き物に見える鉄は迫力もありそうですね。
私の想像には限度があって残念です。
鉄シリーズの写真はどこかでみれるのでしょうか。
旅行の前準備すごいですね。
わたしなんて何冊か買って買い物の所ばかり気をとられてます。。。
グーグルアースで想像ができるんですか?
それは、すごい。ですね。
時間忘れてずっと見ているんでしょうね。
きっと元宝モノさんは少し悲しかったのかもしれないですね。
だって、写真以上の存在になれないんですもん。
へんなところが好きだというのが面白いですよね。
もてぎさんってかわってますね。
今更きがつきました。
電線のことは前にも聞きましたよね、、、ごめんなさい。
「無作為に増設され、だれも見向きもしないもの。
けれど、電線のつながる先には家があり、かならず人の生活がある。
そして、遠い日の思い出のなか、暑さに負ける日、失ったものに涙する時、ふと空を見上げるでしょう?
そのとき、美しい青空とどこかに電線がいるんです。
空を美しく感じるのはすごく当たり前だけど、
その視界のなかに、どうでもいい電線がいるんです。
思い出のキーワードなのではないかと思うのです。
ところで「デジタルフォト」という雑誌の11月号で電線の写真を特集してもらうことになりました。
表紙も電線です!」
最近よく電線みます。
やっぱり邪魔者までいかなくても何にも思いません。
もてぎさんって、すごいです。
やっぱり想像力が違うんですね。
はやく見たいなぁ。
どんな電線なんだろう。
「バスの窓枠にかたどられて、
まるで、映画を見ているような気分になれるのではないか、と思います。」
それは素敵ですね。
いつかいけたらいいです。
最近貧乏なので東京の街が限度ですけどね。。。。
映画みてる時も写真のこと考えたりしてるのでしょうか。
そうだ、グーグルアースで見てみます。
「ひとりの時間、大切です。
ひとりでいることは嫌いじゃありませんが、
寂しく思うことのほうがほとんどですよ。
ただ、何かに集中する時はひとりでないと、はかどりません。
写真は、ただ撮影するだけでなく、その写真を撮るための準備が9割、
撮影そのものが1割。そんな感じなんです。
仕事の写真では、目的とする写真のために多くのスタッフが関わり、
四六時中打ち合わせをしたり、撮影後のデザイン、
印刷のためのデータをデザイナーに渡す作業をしたりと
ひとりで集中できる時間はわりと少ないのです。
個人的な作品でも、多くの人の助力を得ての撮影も多いので
そうした協力をしてくれる人との打ち合わせや対話はとても大事です。
日常でいえばひとりになれるのは、通勤の時と夜中の作業時間のときでしょうか。」
最近一人もいやじゃなくなりました。
ちょっと趣味をみつけたのです。
もてぎさんは趣味も写真ですよね。
ずっと写真ですね。
写真が嫌いな時期はなかったのですか?
準備にそんなにかかるのですね。
私たち見る側は出来上がったものしか見てないですから、
あまりそういうことは考えてもみませんでした。
ひとりの時間少ないですね。
じゃあ、このブログのコメントを書いてる時間も貴重な時間ですね。
迷惑にならないように気をつけます。
ブログはろくなこと書いてません。
みても面白くないですよ。
実は元友人に「ブログやめろ」と言われたりしたので、
なんだか寂しくなって前のブログをやめたのです。
で、もてぎさんと出会った頃に写真をのっけてたブログを自分の日記に変えたんです。
なんでやめろと言われたのかはよく分からないのですが、
彼は「言論の自由はない」とまで言ってました。
彼のことを少し書いたことがあります。
それがいけなかったのかもしれません。
文章ってじぶんのその時の感じ方で全くちがくとれてしまいます。
きっと、わたしの文章が何か気に障ったのかもしれません。
もともと、あまり文章もうまくないですしね。
私あまり人の感情を読むのがうまくないので、
きっと、なにかしてしまったのかもしれないです。
どっちにしてもすごく好きな人だったので
メールしないでくれと言われた時はすごくショックでした。
人の感情って難しいなと思いました。
こっちがよかれと思ってしたことでも、
相手にとっては駄目なこともあって、
そこらへんが難しかったです。
そして、私以外はみんな社会人ですし、
時間に余裕もありません。
きっと、わたしのわがままで迷惑かけたんです。
でも、一回勉強したので今まわりに居る人には迷惑かけないようにきをつかってますけどね。
A型なんですね。
もてぎさんってどんな人なんですか?
わたしはコメント欄のもてぎさんしか知らないので、
あまりよく分からないのです。
ももさん
こんばんは。いつもありがとう。
大手町、お台場は結構な距離ですね。往復あるくとはすごい!
その間に僕の話をしてもらえるなんて嬉しいことです。
僕のことで二人の人が笑ってくれたというのは素晴らしいことです。
すくなくとも、二人の人を僕のしていることで楽しませることができたのですからね。また、お友達と電線を見上げて笑い転げてくださいね。
僕も昨日はお台場にいましたよ。お台場というより国際展示場ビックサイトですが。ビックサイトで開催されていた「ゲイサイ」というアートイベントの撮影をしていました。
そしてマウンテンバイク。やはり。疲れますか。僕も随分前に乗っていたことがありますが、やはり疲れました。でも、「かっこいいのに乗ってるよ」ってわかるなあ。モノが欲しくなる理由の主なところはそれだもの。
しかも、折りたたみ。そそるなあ。うっかりまた自転車買ってしまいそう…….
僕の通勤コースは、葛西臨海公園→湾岸道路→ビックサイト→勝ちどき→銀座です。いまはほとんどオートバイですがマウンテンバイクで走ったこともあります。3回ほど乗っておしりの痛さにあきらめちゃったんですけどね。今のオートバイもおしり痛い系ですが、ま、我慢のできる範囲です。快適じゃありませんが。このコースは、いままさに街が出来上がろうとしているところで毎日の変化にわくわくするんです。もっと都心だと再開発だから、古いものが消えて新しいものに変わる再生なので、消え去るものへの悲しみや慈しみも感じます。けれど、湾岸、お台場は埋め立てられてできた新しい土地にゼロから街が出来上がって行く様子を見ることができます。そこにある時間は、未来へと向かう一歩通行で、失われる悲しみがないのです。だから、単純にわくわくできて、僕にとっては楽しい通勤コースです。
ぼくは、アタマがいいというのではなくて、妄想家です。僕の写真の取り方は、イメージしたものを現実に投影する写真の撮り方なのです。だから、いつでもいろんなことを考え、考えたことをさらに映像として考え直しています。それが夜見る夢だったり、果ては妄想だったりするわけです。いつも、妄想してます(笑)。日本はアニメや漫画の文化で世界的に評価されていますが、日本語のなかに擬音や擬態語がとても多いことが漫画を作る上で、また社会的に認知させる上での基幹となったのではないかと思います。そして言うまでもなく漫画は絵というビジュアルが一緒で、絵と言葉が作者の空想を現実化する手段です。それ以前にも浮世絵や狩野派に代表される日本画は写実的なものではなくむしろ作者の心の中で変遷したイメージを現実化したものとも言えます。日本人は自分が見たものを自分の心の中でイメージしなおし、変遷したイメージを再度現実の中に押し戻すという作業が得意なのではないかと思うのです。擬音や擬態語もそうしたイメージを伝える方法論なのだと思います。写真で言えば、見たままを写すより、見て経験したことを空想の中で作り直して写真としてビジュアルにする。そんな感じなんです。
作品は近いうちにウェブで見られるようにしますね。
そうですね、僕は変わっているかも知れませんし、よくそういわれます。
ですが、本人的にはいたって普通なつもりなんですが(笑)
何かするにあたってあまり限度を考えないところが普通でないみたいです。
昔ね、石膏で月面の模型を作ったんです。中学高校は天文部だったのですが、学園祭の時には月面の模型をつくるのが恒例だったんです。月は誰も行ったことがないでしょ。だから、写真を見て影の具合から地形を想像して作って行くんです。大勢でああだ、こうだいいながら作るんですよ。そして出来上がって暗いところで懐中電灯で照らしてみると望遠鏡で見た月の姿のようなものができるんです。グーグルアースは衛星からの写真ですから、月から地球を見ているようなものです。影を見ながら、地形の高いところ低いところを想像するんです。そして、かつて作った月の模型を斜めから見た時のことを思い起こすと、
あら不思議、けっこうその場に立った時のことまで想像できるんですよ。あくまで想像ですけどね。でも、写真も空想ですから、現実を目の前にして少しばかり違っていても、空想したことの中に収まってしまうんですね。
身近な風景とグーグルアースを見比べて見るとなんだかよくわかりますよ。
そういえば、グーグルアースでエジプトのピラミッド、イースター島のモアイ、
ペルーのマチュピチュ、万里の長城、見えるんです。地理の教科書でしかみたことのないのものなのに、グーグルアースで見ると少し身近に感じます。
観光地にいって、素敵なお店でおいしいご飯、お買い物。それも楽しく素敵です。だって異国ですからね。楽しいですよ。でも、そんな旅でなくてもいいやと思ったら、自分の好きな風景を見つける旅もいいものですよ。
そうだ、前ね、バイヨンヌという南フランスの観光地に友人の結婚式に招かれて行ったことがあるんです。ビーチの前にカジノがあるような観光地。夜は大西洋に向かうビーチを見下ろすレストランで食事。とても楽しかったですよ。おっと、話したかったのはこれではない。結婚式にせっかく招かれたので紋付袴で行ったのですよ。フランス人男性と日本人女性のカップルです。日本人と結婚するフランス人ですから日本通でその友人たちも日本に来たことはなくても日本通の方ばかりでした。女性の着物は皆さん、見たり着たりしたことがあって、日本から参加した女性の着物姿を喜んでいましたが、ヒーローは紋付袴でした!女性の着物は知っていても、男性の和装は見たことがないのです。最初は遠巻きにしていたフランス人たちでしたが、披露宴でお酒が入るとあっちこっちのテーブルから呼ばれて、フランス人全員と記念写真を撮りましたよ。でも、もっとも面白かったのは泊まっていたホテルから教会に行く時です。リゾート地ですからね、みんな思い思いのおしゃれを楽しんでいます。そこに現れた紋付袴の東洋人は相当に珍しかったようですよ。立ち止まって見つめてくる人が多かったですよ。そしてレンタカーを運転して街をはしるともう一度見ようと横に並びかけて来たりします。アメリカ人みたいに向こうから話しかけて来たりはしませんが、笑いかけるとどぎまぎしながらも笑い返してくれる人ばかりだったのが印象的でした。
ちょっと話はズレてますが。
まあ、一応僕も観光地に行き、観光地をちゃんと楽しむというお話です。
でも、ディズニーランドは行きませんよ。ももさんの印象は正解です(笑)
ももさんが見つけた趣味はなんでしょうね。
趣味があるとそのために費やす時間を大切に思えます。
ひとりでいることが大切に思えたり、逆に人といることが大切に思えたり。
趣味をもつのは、時間を豊かにするいい方法だと思います。
「写真が嫌いな時期はなかったのですか?」
これ、よく聞かれるんです。実際に写真を職業にしているとそういう時期に当たることは多いようです。僕は幸いながら一度もそういう経験はありません。デジタルでの画像加工に関わりだしたのが90年ころ、デジタルでの印刷に深く関わりだしたのは2000年ころ。技術的な転換点が二つあって、誰よりも早くその分野に飛び込みました。だから、新しい技術を習得、開発することに夢中で写真が好きとか嫌いとか生理的に考える暇がなかったのではないかと思います。ですが、まあ、続けていればそんな時はこれから訪れるのかも知れませんが。
元友人のこと、残念ですね。
自分のことを書かれたのが気に障ったのかも知れませんね。
僕は、というか僕の回りの人たちはネットの中でも生きているので名前もプロフィールも公開している人たちがほとんどです。それが当たり前だとさえ思ってしまっていますが、実はそれは真実ではないのです。自分の名前はおろか、すこしでもプライバシーが公にされることを嫌う人も少なからずいます。ネットは家の中ではなくて、外を歩いているのと一緒ですからね。
僕もそうしたことは注意しているつもりですが、うっかりもありお叱りを頂くこともあります。写真そのものもそうで、街中のスナップなども肖像権といった人が持つ権利ということを考えざるを得ない時代になりました。
いろいろ、難しいことが多いです。
僕は「自由」という言葉がとても好きです。ただ、自由ということについて話し合うとき、liberalとfreedomを区別します。日本語の言葉の上では自由に差はありませんが、それぞれ因習にとらわれない、勝手気ままという意味合いがあります。現代の社会において自分の自由を得るためには、他者の自由を尊重することが最も大事なことだと考えます。その時自由の意味合いはfreedomではなく中庸という意味を含むliberalだといつも思うのです。
血液型の話もちょっと面白いですよ。僕自身は自分は間違いなくA型だと思っているんですが、いつもそうは見られません。B型だと思ったとよく言われます。自分の好きなこと、例えば写真に関しては几帳面でものすごくシステマチックです。ですがそれ以外のことは、もうどうでもよくてだらしなく見えるからですかね。机の上も僕の部屋も常に雑然としています。仕事だけでおつきあいしている方からは本当にA型ですねって言われますよ。
つまりいろんな面があるってことです。僕はどんな人間か。
誰しもいろんな面があって見る人が変われば評価が変わりますし、自分自身も自分がどんな人間かということを捉えきれないです。
ものすごく、律儀で正義を貫く一面もあるし、だらしなくずるい一面もあります。そんな多面性を持つことが普通の人間であるし、僕もそんな普通の人間の一員のつもりです。
ただ、性格という部分でよくいわれるのは人を巻き込む性格だと言われます。
なにか、イベントごとがあるといろんな人に協力をお願いしてそのイベントに巻き込んで行きます。意識してそうするわけではありませんが。
仕事のうえでもセミナーや雑誌の連載、写真展などでも同じです。仕事の場合にも予算やコンセプトなどクライアントになる方々の筋道があるのですが、あまりおかまいなく、そして一見関係がないような人にまで声をかけて巻き込んでしまいます。そんなつもりはないんですが、そうだって言われますよ。かといって、オレについてこい的なリーダーシップをとる性格ではありません。写真やらアートやらやる人間は僕も含めて我の強い人が多く、一緒の場所においておくと大変なんです。僕は写真家たちを愛を込めて猛獣さんと呼びます。そんな人たちをなんとなあくまとめる人間です。昨日の「ゲイサイ」では32人の撮影チームのとりまとめをやっておりました。猛獣さんたちもこの投稿を見てるかも知れませんね、ここでも改めて御礼を申し上げておきます。
いつもいつも、ありがとうございます。本当に感謝しております。今後もイベントは目白押しです。ぜひ一緒に楽しんで行って頂きたいと思います。
私たちが、写真業界の中核を担っていることと日本の写真家を周知することをひとつの道筋として今後も活動して参ります。
なにとぞ、ご厚情賜りますようお願い申し上げます。
日本の写真家たちへ 愛を込めて。
こんばんは。
たまーに、私ともてぎさんは近い場所に居るのですね。
「ゲイサイ」をグーグルで検索してみました。面白そうなイベントですね!
もし機会があれば行こうかなぁと思いました。
もてぎさんもマウンテンバイクのってたのですね。私のは50キロまでは「おしり痛くない系」ですよ!
楽しそうな通勤コースですね。
いっぱい写真撮ってブログにのせてくださいね!
そうだ、犬の家かわいいですね!
私にもちゃんとベロ出しているかわいい犬が見えました。
もてぎさんは、妄想すきなんですね!
私たまに仕事や勉強している時、
とんじゃうときあります。
ちゃんと集中しなきゃなぁと思います。
もてぎさんの写真の撮り方って、なんだか頭がねじれそうなかんじです。
どうやってとるんですか?
私は漫画が大好きです。
あ、そういえば、私が通っている精神科の病院の先生は「ワンピース」を読んでいるそうです。私も少し彼のを見せてもらったんですが、号泣してしまいました。
もてぎさんは漫画みるのかなぁ。。。
浮世絵のことあんまり知りませんが、私は結構すきです。小学生の時、ゴッホのタンギーおじさんが好きで、あんまりうまくなかったけれど、模写しました。その絵には浮世絵が書いてありました。
「写真で言えば、見たままを写すより、見て経験したことを空想の中で作り直して写真としてビジュアルにする。そんな感じなんです。
」
できるんですか?
わたしにもできますか?
具体的にはどうやって撮るんですか?
頭が???になってます。
もてぎさんのすきなものが、変なもので、とってもおもしろいです。
あの目黒の公園のどのへんがそそられるのですか?
私がお台場のフェニックスというスーパーの近くにすみたいのと、多分同じような感覚なんでしょうね。
限度を考えない。
少年なんですか?
限度を考えないってどういうことなんでしょうか。
グーグルアースっていろいろなものがみえるんですね。
りなみに万里の長城は見に行きましたよ。
昔だからあんまりおぼえてないんですけどね。
今度旅行する時は、写真旅行にしようかなぁと思いました。
もてぎさんも観光地楽しむんですね。
紋付はかま人気あったんですね!!
それにしても、
もてぎさんの紋付はかま姿は、どんなのなんでしょうか。
フランスのかたって、ちょっと控えめで面白いですね!
どぎまぎしながらもを、ちょっと想像してみました。
私の趣味は裁縫です。
といっても、最近は仕事もしてますし、勉強もしているので、趣味はまだまだ始まってもいません。
ただ、つくりたいものができました。
クロコのさいふを作ってみたいです。
私、手先が不器用なので、うまくできないかもしれませんが。
だんだん、一人の時間も大丈夫になってきました。ちょっとは自律できてるのかなぁ。
写真が嫌いな時期なくてよかったですね。
もてぎさんみたいに、私も頑張ってみたいなぁと思いました。嫌いになる余裕よりも勉強!
技術の開発ってどのようにするんですか?
聞いてもわかんないのかなぁ・・・
元友人。実は2件あったんです。
結構かなしいです。
でも、最近のりこえました。
ネットで個人情報がもれるのは私も友人達と一緒でいやです。だからきっと「momoさん」のままなんです。
なので、コメント欄でも話しきれないことがたくさんあります。
「自由」他社の尊重の上での自由。
勉強になりました。
「誰しもいろんな面があって見る人が変われば評価が変わりますし、自分自身も自分がどんな人間かということを捉えきれないです。
」
なるほど。って思いました。
「我の強い人」って、どんな人ですか?
猛獣さんってなんだか面白いですね。
もてぎさんのまわりには、すごい人がいっぱいいるのですね。
なんだか楽しそう。
ももさん
こんにちは。
確かにももさんとは活動場所が近いようです。
マウンテンバイクに乗っていたのは10年以上前ですが、ほんとおしり痛かったなあ。ダウンヒルって知ってますか?マウンテンバイクで急な坂を下りおりるスポーツです。夏のスキー場でやったりするんです。長野県の富士見パノラマスキー場といところでやったことがあります。夏場のスキー場って大きな石がごろごろしてる上に、思いのほか急で山頂に自転車で立つと猛烈に怖いんですよ。そしてそこを下りおりる。ものすごいスリルです。怖いけれどアドレナリンが吹き出す楽しさでした。ですがね、脱臼して痛い思いもしました。
犬の家、可愛いでしょう?こういうのも妄想ですよね。ももさんとは妄想を共有できました。こういうのって、いくら説明してもわかってもらえない、そういう風に見えない人っているんですよ。これは善悪ではなくて、モノの見方考え方にさまざまな道筋があるんだなあ、と思う瞬間です。
マンガ!
マンガやアニメ大好きですよ!この夏は「崖の上のポニョ」見ました。いい作品です。正義や箴言を語ろうとしない、ある意味解決を求めない、本当にいい童話だと思いました。僕たちの世代はかつてテレビッ子といわれた世代ですから、アニメとマンガは常に一緒です。子供の頃は宇宙戦艦ヤマト、鉄腕アトム、巨人の星、マッハGoGoGo、荒唐無稽でワクワクするアニメがいっぱいでテレビにかじりつき、妹とチャンネル争いの喧嘩を毎日繰り広げ、少年ジャンプやキング、チャンピオンなんていうマンガ雑誌の発売日を待ち遠しく思ったものです。今でもマンガを良く読みます。さいとうたかをの「ゴルゴ13」「藤枝梅安」「鬼平犯科帳」はチョー愛読書で単行本全巻を何回も買い直していますし、ときおりマンガ喫茶に行って読みふけってしまうくらいです。あと今市子の「百鬼夜行抄」も大好きで、お風呂でいつも読むので単行本はふくれあがって、分厚くなっています。ほかにも作家は忘れたけど「エロイカ」というおしゃれな怪盗のマンガもはまりました。ほかにもかわぐちかいじ、さいもんふみ、弘兼けんじ、黒鉄ヒロシ、山科ケイスケ、やくみつる、そんな作家が好きです。
「ワンピース」はあまり読んだことはありませんが、あの荒唐無稽な感じはとてもいいですよね。まさに妄想をビジュアル化している。
写真もマンガもそうした意味で同じだと思います。アタマに浮かんだこと、なんでもいいんです。マンガではペンをとって絵にするし、写真ではカメラを持って絵にします。ただ、写真では現実の風景に対峙しなければならないので、思い浮かんだイメージと同じになるものを探すのです。
ももさんもマンガを好きだと言えるし、妄想もするでしょう?それを何かカタチにするんですよ、だから好きな写真を取れる筈です。裁縫が趣味なんですよね、パッチワークとかでカタチにしてみるのも面白いかも知れませんよ。
さいとうたかをの「藤枝梅安」「鬼平犯科帳」は、とくに大好きで原作の池波正太郎さんも大好きです。池波さんの濃やかな愛情溢れる文章を読んでいると自然と涙がこぼれます。「茜雲」の山本一力さんの文章は、見たこともない江戸の下町の風景を情緒豊かに生き生きと浮かび上がらせてくれます。現代を各作家では宮本輝さんの文章の美しさが絶品だと思います。「錦繍」では往復書簡という形式で物語が綴られますが、その文章の美しさは本当に素晴らしいと思うのです。小説を読んでいても、常に目の前に風景、映像が広がります。「藤枝梅安」では、品川台町から見下ろす、うららかな日差しの江戸湾。そこに白帆を揺らす小船たち。「鬼平犯科帳」では、猪牙船から見る大川縁の煮売りやそばの屋台、その先の商家の前の往来をゆるやかに声を上げながら歩く天秤棒を担いだ物売りたち。「茜雲」では深川あたりの狭い路地、真夏の強い日差しに光る風鈴とせわしなく行き交う職人の女房たち。「錦繍」では、つめたく曇った空から、吹きおりる風に揺れる山形蔵王のバラ園。
どれも、妄想です。見たことなんかありません。とくに池波さんも山本さんも時代小説ですから江戸時代ですものね。でも、美しく達人の文章には、あたかも眼前にその風景が存在するように思わせてくれる力があります。そうやって自分のアタマの中に浮かんだ風景も写真にしてみたいと思うんですよ。
目黒の公園は、昭和40年代のテレビのホームドラマを思い出したのです。タイトルは忘れましたし、スジも間違っているかも知れませんが、さがらなおみが主演で、主題歌を歌っていたのは水前寺清子だったと思います。
商店の看板娘が夜、家の裏口を出てすぐ近所の公園に行くのです。いつも同じ時間に。そこには恋人が待っているのですけれど、キスもしません、今日の出来事を話して、手をちょっと握って頬を赤らめちゃうようなプラトニックな恋です。でも、隠れた恋じゃないですよ、近所中のみんながそっと知っている恋です。そして、朝にはお母さんが箒をもって、家の裏口から公園までを掃いている。そうしたことが毎日日常として繰り返されている光景が、この公園にマッチしてると思ったんです。もちろん、現実のこの公園にはそんなドラマはないでしょうけれど。箒をもったお母さんが見えますか?そっと手を握る二人が見えますか?
万里の長城に行ったことがあるんですね!羨ましい!僕も行ってみたい。グーグルアースが出てすぐに撮影中のスタッフで盛り上がって、グーグル世界旅行をしました。グランドキャニオン、モアイ、マチュピチュ、エッフェル塔、スフィンクス、万里の長城。なんか社員旅行みたいじゃねって盛り上がりました。
でもね、実際に見たいですよね。
紋付袴はそこまでウケると思っていなかったんでひとつ失敗がありました。
どうせなら刀を持って行くべきでした。もっとウケただろうなあ。
そうなると日本人として、黒田節のひとつも踊れないとカッコがつきませんね。
次の機会に。
フランス人てちょっと嫌みで近寄りがたいイメージありますよね。でも、そんなこともないみたいです。ただ、彼らは階級社会なので同じクラスとして認識されないと親しくなってくれないようですよ。
「我のつよいひと」
自分の考えを前面に押し出し、固執し、こだわる人たちです。僕もその一員ですけどね。一緒のプロジェクトをするにあたってもそれぞれの考え方があり、誰もそれを譲りません。いい人たちなんですよ。ただし、「写真」という部分ではそれぞれにコダワリと一家言ありでそれを譲ってはくれませんからね。まあ、まとまりません。写真から離れればネコなのですが、写真に関わることになった途端に、虎とかライオンになっちゃうんですよう。大変です。僕もその一員なんでお互いにそう言っているんですがね。楽しいですよ。
もてぎ
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