東京のなにげない風景とデジタルフォトに関連するブログ
こんにちは。さっぱり七夕を忘れてました。忘れてたことに、寂しく感じてます。もてぐさんは、いつごろ写真家になろうと思ったのでしょうか。空を見上げての写真きれいですね。
ももさんいつもコメントをありがとう。そうなのです。僕も七夕をすっかり忘れてました。日づけの語呂がよいので気がつきました。いまはマンションが多く玄関先に七夕飾りが見えるわけではないので気づくのが遅れてしまいます。仕事に追われてばかりだとちいさな発見が見えなくなってしまいますね。よくないです。ことしはすこし、ちいさなことにも気づく心を育てたいと思っています。そうそう、写真で暮らして行きたい、と考えたのは高校生のころです。それから30年近く経ち、すこしだけ思ったことが実現できました。でも、道はまだ先です。
こんにちは。質問ばかりになってしまいそうで、ごめんなさい。でも、なかなか聞けるチャンスが無いと思い、思い切っておききしたいと思うのですが、高校生の頃に、そう思われたきっかけとかあるのでしょうか。数ある職業の中で、どのようにしてみつけたのでしょうか。暮らしていくということは、お金がどうしても絡んできて、私はそれとの葛藤で、すごく悩んでるのですが、自分の話になってしまいますが、私には、一つだけ信念がありまして、自分の口に入れる食べ物だけは、なにがあっても、上質の物しか入れない。体に負担をかけそうな食べ物は入れない。ということは、自分で素材から調味料まで、なにからなにまでコダワルということなのですが、それには、かなりの時間とお金もからんできますし、つきつめても、つきつめても、先がみえないのです。ましてや、職業に結びつかないようなかんじで、今とても模索してるのですが。もてぎさんは、すごく心が澄んでいて、もしかしたら、そのような葛藤がなく、写真家になられてしまったのかもしれません。でも、やっぱり、一握りの方しかなれない職業だと、私は思います。そこに行き着いた何か特別な事が、あるのでしょうか。
ももさん おはようございます。ちょっと戸惑いつつも、私信としてお答えしますね。写真家を目指す、一番のきっかけは高校時代の先生が何かを書いたり、表現したりする仕事をしたらどうかと言ってくれたことです。僕は、中学校、高校と一貫教育の進学校に通っていましたが、そのなかの落ちこぼれ組でした。中高6年間つねに後ろから1番2番を争っておりました(笑)しかし、落ちこぼれだからといってあまり悲壮感はなかったように思います。本当に成績が悪い中、現代国語と美術の成績だけ突出してよかったんです。この二科目だけは学年上位でした。そこで、国語の先生、美術の先生がそれぞれ表現する仕事を勧めてくれたのです。全員が有名大学に進学するという進学校のなか、君は大学に行けないから違うことを考えなさいと真剣に考えて助言してくださいました。美術の先生は著名な日本画家への弟子入りの算段までつけてくださいました。高校でのクラブ活動は天文部でしたが天体写真ブームで随分と写真を撮っていました。カメラも好きだし、先生もそういうから写真を目指そう。そう思ったんです。実は僕の出身校の先輩に篠山紀信先生がいらっしゃいます。篠山先生のような著名写真家になりたい。そんな風に思ったのが高校生、1年か2年か、そんなころです。そして1年浪人しましたが日大の写真学科に合格し、曲がりなりも大学進学を果たせました。そして4年間、写真を通じてさまざまなことを考えました。写真には表現としての側面と製品としての側面があります。オーダーされた通りの写真を仕上げることが製品です。アートとしての表現を目指すより、まずは製品として写真を仕上げられるプロフェッショナルを目指そうと思いました。写真は感性であるという言われ方をしますが、僕はこの言葉が好きではありません。僕自身は、写真は思想と技術であると思っています。思想とは何をテーマにし、いかに論理を組み立て、撮影のための精神的準備をするか、技術とは現実の中で撮影のための準備と確実な撮影で一度のチャンスをこぼさないようにすることです。技術がなければ写真は撮れないし、思想がなければ作品は作れないのです。そんな風に考え、まずは技術の習得を目指しました。思想はカメラがなくても育てられますから。そのためには、写真撮影そのものが生業となるよう出版社に就職しました。そして、今現在は、その考えを愚直に続けてきた結果なのです。ひとことで言ってしまうと高校生の時に思ったことを愚直に続けてしまっただけなのです。ですから、ぼくにはももさんが感じているような葛藤はあまりありませんでした。暮らすことと表現することを同時にしようと思うととても大変です。ぼくは職業として写真を撮っています。それはオーダーされた製品を確実に仕上げる技術を商品としています。それと同時に自主制作した作品を発表したり、それを売ったりしています。こちらが表現することの方です。最終的には自主制作した作品を売ることだけで生活もできてしまうことが理想ですが、それにはまだ遠いでしょう。しかし、現在の商品と作品を両立させるスタンスには膨大な時間が必要です。写真のために、2〜3日の徹夜は当たり前ですし、家にも帰らず、風呂にも入らずです(笑)そして世間からみてもっとも異質なことは、写真を撮る、作るためなら写真以外のことを捨て去ってしまうことです。美味しいものを食べることも、なかまと遊ぶことも、愛情の中にくらすこともです。熱中するあまり結果的にそうなるだけなのだと思いますけれど。写真を撮る、そのこと自体に葛藤はありません。しかし、その一方でひととしてあまり幸福な人生を送っていないこともまた事実です。そうしたことも器用にこなせないのです。善くも悪くも愚直に続けた結果です。曲がりなりにも写真家として生きていられることに満足を感じます。ですが、その一方、幸福を手に入れているかと問われたら首を傾げざるを得ないのです。それも受け入れざるを得ないのです。 僕は職業と表現の関係をこんな風に捉えています。あくまでもひとつの例でしかありません。ただ、普段から考えていることを慎重にまとめてみました。ももさんのお役に立ちましたでしょうか。
もてぎさんこんにちは。まず、何か突き出てるものを持っているということ。そして、高校時代に良い先生に恵まれたということ。様々な流れで、ここまで来たということ。ブログを拝見して、うっすら何かを感じ取っていたつもりでしたが、(実はグーグル検索して、雑誌の写真をいくつか拝見しました。本気のプロだなぁ。とびっくりしました。プロってそういう事なのかなぁと。)ですが、思想と技術の話で、ようやく理解が進みました。今読み返すと私の質問の文では、???な感じなので、自分の話をさせて下さい。私は今24歳です。ひとり暮らしをして3ヶ月。それも、親の買ってくれたマンションに暮らしてます。生活費だけを稼ぐという形です。私の夢は、会計士になってバリバリ働くことでした。今もその夢はすててません。ですが、つい1年前に体をこわしました。アレルギーの薬の副作用で、ねたきりになってしまったのです。もてぎさんが見たフランスの写真は、むりやり予約したので、がんばって旅行したときの写真なんですよ。つい10ヶ月前にある1冊の本に出会いました。簡単にいうと、食の欧米化が私のからだには合わなかったということだったのですが、食事を変えたら、みるみる直りはじめました。でも、まだ本調子じゃないのですけどね。で、気がつきたんです。自分の幸せってなんなのだろうと。そして、もっと自分を大切にしようと。せっかく今まで勉強してきた事なので、引き続き勉強してますが。色々と考えているのです。模索中なのです。仕事はしがないパン屋で毎日パンをつくってます。まだ働いて1週間なんですが。私はたべませんけども。時給は低いです。朝から昼まで働いて終わる。お給料や貯金で、食材を遠くまで買い出しに行く。そんなへんてこな生活です。親の会社や、前勉強していた世界に戻る事は簡単ですが、自分の事を大切にするという観点からは、まだ戻れません。いつかは戻りたいのですけども。そんなこんなで、ようやく現実の世界に戻ってこれたので、この際だから、色々なことを考えたり、感じてみようと。そんな時に、もてぎさんのブログに出会いました。すごくあったかい写真で、すごく癒されました。奇麗な写真だなぁと。で、どんな方なのかなぁと思い。あと、自分の周りには、もちろん居ない方なので質問しちゃったんですけども、こんなに『慎重に』の文章を書いて下さると思わなかったので、迷惑かけてしまったなぁと。。それにしても、慎重にまとめた。この言葉。私が使ってもこういう味が出るものなんでしょうか。きっとでません。でも、この文章の写真以外のことを捨てるという所を読んだ時、複雑な気分になりました。熱中できる、持続出来る事があるのと同時にそのひずみがどこかに出てしまうという現実。もちろん、もてぎさんとこうして会話出来るだけでも光栄だとおもってますし、もてぎさんの文章を読んだ後でも、すごいなぁ。素敵だなぁ。うらやましいな。なんて気持ちは変りません。だって、自分のただ唯一のものをもっていらっしゃるから。それに、好きな事が仕事になっているということも。人よりも飛び抜ける才能をもっていることも。うらやましいです。役に立ったよ。なんて言葉では片付けられないくらいに、ぐっと胸にきました。こんなにお話してくださるとは思いもしませんでしたし。とてもとても感謝の気持ちでいっぱいです。もし、このブログのコメント欄で、距離が近づきすぎて、気分を害してしまったのなら、許して下さいね。これからも、もちろん写真をみますし。個展も見に行く予定です。
ももさんこんにちは。ももさんの返信を見て、涙がこぼれました。からだを壊してしまわれたとのこと、同情という言葉が適切かどうかわかりませんが、少なくとももしも自分が同じ立場だったらと、さまざまなことが胸の中を一瞬のうちに通り過ぎました。若いうちに亡くなってしまった親友のことや子供の頃大病を患った妹のこと、そして僕自身も交通事故の後遺症でほんの少し、障害があります。病気や事故といった、自分自身の責任ではあらがえない運命的なことに夢を挫折することはとても辛く苦しいことなのだと思います。でも、快方に向かわれているとのこと、とても良かった。いまの生活に葛藤や矛盾を感じていらっしゃることは、ひとつお休みの時期と考えられたらどうでしょうか?無責任に聞こえるかも知れませんけれども、病気さえなおってしまえば、まだ先がある。そのためのお休みです。僕の妹は子供の頃、心臓の脇に腫瘍ができ、死亡する確率が高いと言われる手術を受けました。手術は成功し、回復したあとに彼女の胸の大きな手術跡を見ました。そのとき、僕に抱きつきながら「お兄」といって泣いた妹を大切に、切なく思いました。その後の妹は元気で病気に患わされることもなく、息災です。思春期から盛りの頃にかけて、胸の傷はとてもコンプレックスのようでした。妹は子供のころから絵を描くのが好きで、中学生になった頃からはイラストレーターになりたいと言っていましたが、大学卒業後はふつうに、証券会社OLになりました。しかし、OL生活にストレスを感じ、また絵をかく仕事をしたいという欲求から3年ほどでOLを辞め、とある大学の研究室で事務のアルバイトをしながら、絵を描いていました。まあ、そこで知り合った研究生と早々に結婚してしまいましたが。そこで、夢はあきらめたかに見えたのですが、継続は力です。遅咲きではありますが、先頃童話作家として自分の本を出すことができました。童話の連載もしているそうです。ももさんの夢は会計士として働くことなのですね。その夢を捨てていないなら、ゆっくりでもいいじゃないですか。少し、お休みをしてからまた始めればいい。僕はそんなふうに思います。僕たち兄妹は、やりたかったことを一つだけ愚直に続けてきたところは一緒です。ですが、妹は紆余曲折があった分だけ、幸せも手に入れて、家庭もあり3人のこどものお母さんです。時間はもとには戻せず、その時間の間に失われてしまうことがあるのは現実です。妹と違って、夢にたいしての紆余曲折がなかった分、ぼくは愚直に熱中するあまり、いろんなものを失ってしまいました。でも、僕にもまだ時間はあります。ももさんほどたくさんの時間は残されてはいないかも知れませんけれど、それでもこの先に時間はあります。まだ、夢は途上ですし、結局いまと変わらないかも知れない。でも、取り返せることがあるかも知れないし、そのために使える時間もあるかも知れない。そんなふうに思っています。そうそう、僕はいま45歳です。ももさんは、コメントについて気にかけていらっしゃいますがどうぞ気にしないでください。ブログは僕自身の思いを公開している場所であるけれど、個人的な日記であるとは思っていないのです。これからも、コメントをくださいね。個展は今年12月と来年1月です。近くなったらブログに公開しますのでぜひおいでください。それまでに、ももさんのからだがもっと良くなっていますように。もてぎ
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6 件のコメント:
こんにちは。
さっぱり七夕を忘れてました。
忘れてたことに、寂しく感じてます。
もてぐさんは、
いつごろ写真家になろうと思ったのでしょうか。
空を見上げての写真きれいですね。
ももさん
いつもコメントをありがとう。
そうなのです。僕も七夕をすっかり忘れてました。
日づけの語呂がよいので気がつきました。
いまはマンションが多く玄関先に七夕飾りが見えるわけではないので気づくのが遅れてしまいます。
仕事に追われてばかりだとちいさな発見が見えなくなってしまいますね。よくないです。ことしはすこし、ちいさなことにも気づく心を育てたいと思っています。
そうそう、写真で暮らして行きたい、と考えたのは高校生のころです。それから30年近く経ち、すこしだけ思ったことが実現できました。でも、道はまだ先です。
こんにちは。
質問ばかりになってしまいそうで、
ごめんなさい。
でも、なかなか聞けるチャンスが無いと思い、思い切っておききしたいと思うのですが、
高校生の頃に、そう思われたきっかけとかあるのでしょうか。
数ある職業の中で、
どのようにしてみつけたのでしょうか。
暮らしていくということは、
お金がどうしても絡んできて、
私はそれとの葛藤で、
すごく悩んでるのですが、
自分の話になってしまいますが、
私には、一つだけ信念がありまして、
自分の口に入れる食べ物だけは、
なにがあっても、
上質の物しか入れない。
体に負担をかけそうな食べ物は入れない。
ということは、自分で素材から調味料まで、なにからなにまでコダワルということなのですが、
それには、かなりの時間とお金もからんできますし、
つきつめても、つきつめても、
先がみえないのです。
ましてや、
職業に結びつかないようなかんじで、
今とても模索してるのですが。
もてぎさんは、
すごく心が澄んでいて、
もしかしたら、そのような葛藤がなく、
写真家になられてしまったのかもしれません。
でも、やっぱり、
一握りの方しかなれない職業だと、私は思います。
そこに行き着いた何か特別な事が、
あるのでしょうか。
ももさん おはようございます。
ちょっと戸惑いつつも、私信としてお答えしますね。
写真家を目指す、一番のきっかけは高校時代の先生が何かを書いたり、表現したりする仕事をしたらどうかと言ってくれたことです。
僕は、中学校、高校と一貫教育の進学校に通っていましたが、そのなかの落ちこぼれ組でした。中高6年間つねに後ろから1番2番を争っておりました(笑)
しかし、落ちこぼれだからといってあまり悲壮感はなかったように思います。本当に成績が悪い中、現代国語と美術の成績だけ突出してよかったんです。この二科目だけは学年上位でした。そこで、国語の先生、美術の先生がそれぞれ表現する仕事を勧めてくれたのです。全員が有名大学に進学するという進学校のなか、君は大学に行けないから違うことを考えなさいと真剣に考えて助言してくださいました。美術の先生は著名な日本画家への弟子入りの算段までつけてくださいました。高校でのクラブ活動は天文部でしたが天体写真ブームで随分と写真を撮っていました。カメラも好きだし、先生もそういうから写真を目指そう。そう思ったんです。実は僕の出身校の先輩に篠山紀信先生がいらっしゃいます。篠山先生のような著名写真家になりたい。そんな風に思ったのが高校生、1年か2年か、そんなころです。そして1年浪人しましたが日大の写真学科に合格し、曲がりなりも大学進学を果たせました。
そして4年間、写真を通じてさまざまなことを考えました。写真には表現としての側面と製品としての側面があります。オーダーされた通りの写真を仕上げることが製品です。アートとしての表現を目指すより、まずは製品として写真を仕上げられるプロフェッショナルを目指そうと思いました。
写真は感性であるという言われ方をしますが、僕はこの言葉が好きではありません。僕自身は、写真は思想と技術であると思っています。思想とは何をテーマにし、いかに論理を組み立て、撮影のための精神的準備をするか、技術とは現実の中で撮影のための準備と確実な撮影で一度のチャンスをこぼさないようにすることです。技術がなければ写真は撮れないし、思想がなければ作品は作れないのです。そんな風に考え、まずは技術の習得を目指しました。思想はカメラがなくても育てられますから。そのためには、写真撮影そのものが生業となるよう出版社に就職しました。そして、今現在は、その考えを愚直に続けてきた結果なのです。
ひとことで言ってしまうと高校生の時に思ったことを愚直に続けてしまっただけなのです。ですから、ぼくにはももさんが感じているような葛藤はあまりありませんでした。
暮らすことと表現することを同時にしようと思うととても大変です。ぼくは職業として写真を撮っています。それはオーダーされた製品を確実に仕上げる技術を商品としています。
それと同時に自主制作した作品を発表したり、それを売ったりしています。こちらが表現することの方です。
最終的には自主制作した作品を売ることだけで生活もできてしまうことが理想ですが、それにはまだ遠いでしょう。
しかし、現在の商品と作品を両立させるスタンスには膨大な時間が必要です。写真のために、2〜3日の徹夜は当たり前ですし、家にも帰らず、風呂にも入らずです(笑)そして世間からみてもっとも異質なことは、写真を撮る、作るためなら写真以外のことを捨て去ってしまうことです。美味しいものを食べることも、なかまと遊ぶことも、愛情の中にくらすこともです。熱中するあまり結果的にそうなるだけなのだと思いますけれど。
写真を撮る、そのこと自体に葛藤はありません。しかし、その一方でひととしてあまり幸福な人生を送っていないこともまた事実です。そうしたことも器用にこなせないのです。
善くも悪くも愚直に続けた結果です。
曲がりなりにも写真家として生きていられることに満足を感じます。
ですが、その一方、幸福を手に入れているかと問われたら首を傾げざるを得ないのです。それも受け入れざるを得ないのです。
僕は職業と表現の関係をこんな風に捉えています。
あくまでもひとつの例でしかありません。
ただ、普段から考えていることを慎重にまとめてみました。
ももさんのお役に立ちましたでしょうか。
もてぎさんこんにちは。
まず、何か突き出てるものを持っているということ。
そして、高校時代に良い先生に恵まれたということ。
様々な流れで、ここまで来たということ。
ブログを拝見して、
うっすら何かを感じ取っていたつもりでしたが、
(実はグーグル検索して、雑誌の写真をいくつか拝見しました。
本気のプロだなぁ。とびっくりしました。
プロってそういう事なのかなぁと。)
ですが、思想と技術の話で、ようやく理解が進みました。
今読み返すと私の質問の文では、
???
な感じなので、
自分の話をさせて下さい。
私は今24歳です。
ひとり暮らしをして3ヶ月。
それも、親の買ってくれたマンションに暮らしてます。
生活費だけを稼ぐという形です。
私の夢は、
会計士になってバリバリ働くことでした。今もその夢はすててません。
ですが、つい1年前に体をこわしました。アレルギーの薬の副作用で、ねたきりになってしまったのです。
もてぎさんが見たフランスの写真は、
むりやり予約したので、
がんばって旅行したときの写真なんですよ。
つい10ヶ月前にある1冊の本に出会いました。
簡単にいうと、食の欧米化が私のからだには合わなかったということだったのですが、
食事を変えたら、みるみる直りはじめました。
でも、まだ本調子じゃないのですけどね。
で、気がつきたんです。
自分の幸せってなんなのだろうと。
そして、もっと自分を大切にしようと。
せっかく今まで勉強してきた事なので、引き続き勉強してますが。
色々と考えているのです。
模索中なのです。
仕事はしがないパン屋で毎日パンをつくってます。まだ働いて1週間なんですが。
私はたべませんけども。
時給は低いです。
朝から昼まで働いて終わる。
お給料や貯金で、食材を遠くまで買い出しに行く。
そんなへんてこな生活です。
親の会社や、前勉強していた世界に戻る事は簡単ですが、
自分の事を大切にするという観点からは、まだ戻れません。
いつかは戻りたいのですけども。
そんなこんなで、
ようやく現実の世界に戻ってこれたので、この際だから、
色々なことを考えたり、感じてみようと。
そんな時に、
もてぎさんのブログに出会いました。
すごくあったかい写真で、
すごく癒されました。
奇麗な写真だなぁと。
で、どんな方なのかなぁと思い。
あと、自分の周りには、もちろん居ない方なので質問しちゃったんですけども、
こんなに『慎重に』の文章を書いて下さると思わなかったので、
迷惑かけてしまったなぁと。。
それにしても、慎重にまとめた。
この言葉。
私が使ってもこういう味が出るものなんでしょうか。
きっとでません。
でも、この文章の
写真以外のことを捨てる
という所を読んだ時、
複雑な気分になりました。
熱中できる、持続出来る事があるのと同時にそのひずみがどこかに出てしまうという現実。
もちろん、もてぎさんとこうして会話出来るだけでも光栄だとおもってますし、
もてぎさんの文章を読んだ後でも、
すごいなぁ。
素敵だなぁ。
うらやましいな。
なんて気持ちは変りません。
だって、
自分のただ唯一のものをもっていらっしゃるから。
それに、好きな事が仕事になっているということも。
人よりも飛び抜ける才能をもっていることも。
うらやましいです。
役に立ったよ。
なんて言葉では片付けられないくらいに、ぐっと胸にきました。
こんなにお話してくださるとは思いもしませんでしたし。
とてもとても感謝の気持ちでいっぱいです。
もし、
このブログのコメント欄で、
距離が近づきすぎて、気分を害してしまったのなら、許して下さいね。
これからも、もちろん写真をみますし。
個展も見に行く予定です。
ももさん
こんにちは。
ももさんの返信を見て、涙がこぼれました。
からだを壊してしまわれたとのこと、同情という言葉が適切かどうかわかりませんが、少なくとももしも自分が同じ立場だったらと、さまざまなことが胸の中を一瞬のうちに通り過ぎました。
若いうちに亡くなってしまった親友のことや子供の頃大病を患った妹のこと、
そして僕自身も交通事故の後遺症でほんの少し、障害があります。
病気や事故といった、自分自身の責任ではあらがえない運命的なことに夢を挫折することはとても辛く苦しいことなのだと思います。でも、快方に向かわれているとのこと、とても良かった。
いまの生活に葛藤や矛盾を感じていらっしゃることは、ひとつお休みの時期と考えられたらどうでしょうか?無責任に聞こえるかも知れませんけれども、病気さえなおってしまえば、まだ先がある。そのためのお休みです。
僕の妹は子供の頃、心臓の脇に腫瘍ができ、死亡する確率が高いと言われる手術を受けました。手術は成功し、回復したあとに彼女の胸の大きな手術跡を見ました。そのとき、僕に抱きつきながら「お兄」といって泣いた妹を大切に、切なく思いました。その後の妹は元気で病気に患わされることもなく、息災です。思春期から盛りの頃にかけて、胸の傷はとてもコンプレックスのようでした。妹は子供のころから絵を描くのが好きで、中学生になった頃からはイラストレーターになりたいと言っていましたが、大学卒業後はふつうに、証券会社OLになりました。しかし、OL生活にストレスを感じ、また絵をかく仕事をしたいという欲求から3年ほどでOLを辞め、とある大学の研究室で事務のアルバイトをしながら、絵を描いていました。まあ、そこで知り合った研究生と早々に結婚してしまいましたが。そこで、夢はあきらめたかに見えたのですが、継続は力です。遅咲きではありますが、先頃童話作家として自分の本を出すことができました。童話の連載もしているそうです。
ももさんの夢は会計士として働くことなのですね。
その夢を捨てていないなら、ゆっくりでもいいじゃないですか。少し、お休みをしてからまた始めればいい。僕はそんなふうに思います。
僕たち兄妹は、やりたかったことを一つだけ愚直に続けてきたところは一緒です。ですが、妹は紆余曲折があった分だけ、幸せも手に入れて、家庭もあり3人のこどものお母さんです。
時間はもとには戻せず、その時間の間に失われてしまうことがあるのは現実です。妹と違って、夢にたいしての紆余曲折がなかった分、ぼくは愚直に熱中するあまり、いろんなものを失ってしまいました。
でも、僕にもまだ時間はあります。ももさんほどたくさんの時間は残されてはいないかも知れませんけれど、それでもこの先に時間はあります。
まだ、夢は途上ですし、結局いまと変わらないかも知れない。でも、取り返せることがあるかも知れないし、そのために使える時間もあるかも知れない。
そんなふうに思っています。
そうそう、僕はいま45歳です。
ももさんは、コメントについて気にかけていらっしゃいますが
どうぞ気にしないでください。
ブログは僕自身の思いを公開している場所であるけれど、個人的な日記であるとは思っていないのです。
これからも、コメントをくださいね。
個展は今年12月と来年1月です。
近くなったらブログに公開しますのでぜひおいでください。
それまでに、ももさんのからだがもっと良くなっていますように。
もてぎ
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